先日、また音楽関連の用事で銚子に行って参りました。目的地は小畑町の銚子市民センター。公民館的な施設です。ここは、大正元年(1912)に、光太郎と智恵子が愛を確かめ合った犬吠埼にほど近く、せっかくですので用件が終わった後、犬吠埼まで足を伸ばしました。ま、このブログのためのネタ稼ぎです(笑)。
光太郎智恵子がしばらく滞在した宿は「暁鶏館」。経営は変わりましたが、今も残っています。
ただ、ひらがなで「ぎょうけい館」と改称しています。しかし正面玄関には昔ながらの漢字のロゴ。
戦前の絵葉書がこちら。
宿の目の前には太平洋の荒波が押し寄せています。
中央がぎょうけい館。右手の大きな建物は別のホテルでしたが、廃業してしまいました。東日本大震災以降、観光客が減少した影響です。
ぎょうけい館前の波打ち際には、こんな遺構が残っています。
この石組みは、生け簀の跡です。昔はここに魚を泳がせておき、宿泊客に供したとのこと。現在は使用されていません。
振り返れば犬吠埼灯台。
ぎょうけい館からは、徒歩5分ぐらいでしょうか。
灯台入り口手前の丘の上には、光太郎と親しかった佐藤春夫の詩碑があります。
光太郎智恵子がここを訪れた前年、佐藤は与謝野鉄幹らと犬吠を訪れ、「犬吠埼旅情のうた」という詩を作りました。その一節が刻まれています。
佐藤と光太郎が親しくなるのはもう少し後なので、光太郎は鉄幹あたりから犬吠の魅力を教えてもらったのではないでしょうか。
ぎょうけい館は灯台の南。灯台を挟んで反対の北側は君ヶ浜。光太郎智恵子はこの浜も歩いています。
逆にぎょうけい館から南下していくと、光太郎の詩「犬吠の太郎」に登場する太郎こと阿部清助の墓もあります。
銚子も震災の影響を受け、低迷しています。春の観光シーズンです。ぜひお越し下さい。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月11日
明治40年(1907)の今日、智恵子が日本女子大学校家政学部を卒業しました。
4月のこの時期に卒業式というのはちょっと変わっているな、と思いました。下記は平成23年(2011)、群馬県立土屋文明記念文学館での企画展「『智恵子抄』という詩集」の図録から拝借しました。智恵子卒業写真です。
この後も智恵子は郷里に帰らず、東京にとどまって油絵を続けます。知人を頼って色々な先輩芸術家を紹介してもらったりし、そうした中で明治44年(1911)に、光太郎と知り合うことになるのです。犬吠行きはその翌年でした。