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このブログでたびたびご紹介してきた、宮城県女川町の「いのちの石碑」――同じ女川町にかつて建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトに関するドキュメントです。
 
 
当方、文字情報をいろいろと見てきましたし、過日は東京表参道山陽堂ギャラリーさんで行われた「女川だより――あの日からの「家族の肖像」展」のトークイベントを拝聴して参りましたが、映像で観るのはまた違うものでした。
 
「千年後のいのちのために」と、頑張る中学生達の姿には、素直に感動させられました。プロジェクトが始まった頃にはまだまだ子供っぽい顔つきだった彼らが、一基めの石碑を完成させる頃にはたくましい顔立ちになっていきます。若い世代のこうした姿を見ると、この国もまだまだ捨てたものではないな、と感じます。
 
BS放送、CS放送でも再放映されます。ご覧になっていない方、ぜひ。
BS日テレ        2014年4月13日(日) 11:00~11:30
CS日テレNEWS24  2014年4月13日(日) 18:30~19:00
 
映像もいいのですが、やはり実際に見てみたいものです。今年も8月9日には女川光太郎祭があるはずですが、その前に、智恵子のふるさと、福島は二本松で活動されている「智恵子のまち夢くらぶ」さんが、6月に研修旅行で女川に行かれるそうで、同道させてもらおうかと思つています。皆様もぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月8日

明治34年(1901)の今日、東京美術学校校友会倶楽部で、「彫塑会第二回展覧会」が開幕しました。 
 
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光太郎は石膏レリーフ「003仙」と「まぼろし」を出品しています。どちらも残念ながら現存が確認できておりません。

「まぼろし」については、光太郎自身、のちにこう語っています。
 
その頃初めて泥をいぢくり出し、例へば坊さんが月を見上げて感慨に耽つてゐるところや女の浴衣が釘にぶら下つてをるといふ妖気の漂ふ鏡花式みたやうなものを無闇に作つたが、それが当時の彫塑会では新しかつた。後にかういふことが間違つた新しい彫刻運動のもとになつたりした。
(「美術学校時代」昭和17年=1942 『知性』)
 
光太郎自身が後に否定する「文学的な彫刻」というわけです。

上の画像、『彫塑生面』は、この展覧会の図録的な冊子です。「仙」「まぼろし」の画像はここから取りました。