4月2日は高村光太郎の命日でした。
東京日比谷松本楼様では、第58回連翹忌を開催し、多くの方にスピーチを頂きました。
その中のお一人、詩人の間島康子さんから、文芸誌『群系』の昨年12月に刊行された第32号をいただきました。
間島様の評論「高村光太郎――「好い時代」の光太郎」11ページが掲載されています。
「好い時代」とは、佐藤春夫が『わが龍之介像』で使った言葉。大正時代(広い意味で明治末を含む)を指します。文芸界全体でも、光太郎自身も、たしかに大正時代は充実していた時期です。
その「好い時代」の光太郎を追った論考で、失礼ながら、非常に感心いたしました。
それから、連翹忌にはご欠席でしたが、イラストレーターの河合美穂さんから、事前にご丁寧にご欠席のご連絡をいただきました。河合さんは今年1月に、個展「線とわたし」を開催され、光太郎の「梅酒」をモチーフにした作品も展示されました。
その「梅酒」をポストカードにしたものをいただいてしまいました。ありがたいかぎりです。
あたたかい絵ですね。しかし、もったいなくて使えません(笑)。
連翹忌、そして光太郎智恵子を通じて人の輪が広がっています。素晴らしいことだと思っております。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月6日
昭和56年(1981)の今日、銀座和光ホールで開催されていた高村規写真展「高村光太郎彫刻の世界」が閉幕しました。