4月2日は高村光太郎の命日でした。
 
東京日比谷松本楼様では、第58回連翹忌を開催し、戦中から戦後にかけ、光太郎が足かけ8年を過ごした岩手花巻でも詩碑前祭、そして連翹忌の集いがもたれました。
 
その当日、『日本農業新聞』さんに以下のコラムが載りました。
 
【四季】 (2014/4/2)
 
 公園や街角の植え込みで、レンギョウの花が満開だ。2週間ほど前、雨露から身を守るかのように、少しうつむき加減にぽつりぽつりと咲き出したが、あっという間に爆発したように黄一色になった▼彫刻家で詩人の高村光太郎が58年前の今日亡くなった。今が盛りのレンギョウの花の時期であり、生前好んだ花であったことから、命日を連翹(れんぎょう)忌と呼んでいる。そのレンギョウも、光太郎との思い出深いみちのくで咲くのももうすぐだ▼光太郎の詩集『道程』はあまりにも有名だ。「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」。その発表から今年で100年。ふるさとの福島をこよなく愛した智恵子と結婚したのもこの年。「阿多多羅山の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だといふ」。ふと今が重なる▼光太郎は宮沢賢治の天性をつとに見いだし、賢治の死後、全集発刊などに尽力した。その縁もあって戦中から戦後の7年間、岩手県花巻市に疎開し、山小屋で独り暮らした。岩手県は第二のふるさとのようなもの▼四季折々、自然と共に生きた。『山の春』は、村人との温かい交流、豊かな山の恵みに生かされることへの感謝を描いた。大震災から4回目の東北の春。「道」はどのくらいできたか、光太郎は気にしているだろう。
 
連翹忌、そして「道程」100周年、光太郎智恵子結婚100周年にもふれてくださり、ありがたいかぎりです。
 
それにしても、東北ではこれから連翹の花盛りなのですね。自宅兼事務所のある千葉では満開です。
 
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自宅兼事務所の庭の連翹は、連翹忌持参のために剪ったので淋しくなってしまいましたが……。
 
「大震災から4回目の東北の春。「道」はどのくらいできたか、光太郎は気にしているだろう。」……まさにその通りだと思います。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月5日000

昭和29年(1954)の今日、編者に光太郎の名を冠した『毎日ライブラリー 日本の詩歌』が刊行されました。
 
この年1月の『毎日新聞』に連載された光太郎の評論「日本詩歌の特質」を巻頭に置き、その他、「日本の詩歌の系譜」(吉田精一)、「現代詩概観」(三好達治)、「近代短歌」(木俣修)、「近代俳句」(加藤楸邨)から成ります。
 
光太郎が編者となっていますが、実務は毎日新聞社図書編集部でした。