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東北レポートの最終回です。

3/9(日)、盛岡てがみ館さんでの企画展「高村光太郎と岩手の人」を見終わり、最後の目的地に向かいました。
 
てがみ館のほど近く、同じ中津川沿いにある「深沢紅子野の花美術館」です。

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深沢紅子(明治36=1903~平成5=1993)は、盛岡出身の画家。夫の省三ともども、盛岡での美術教育にも力を注ぎ、後進の育成に功績があり、やはり省三ともども、光太郎と交流がありました。
 
野の花美術館、こちらは直接光太郎と関わる展示はないのですが、数年前に立ち寄った際に、非常にいい感じだったので、リピーターとして行ってきました。
 
紅子は生涯野の花を描き続け、そちらの展示がメインです。下の画像は買ってきたポストカード。当方、柄にもなく花々が大好きです。
 
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さらに企画展として「深沢省三 童画原画展」が開催されていました。
 
本当に小さな美術館ですが、味わい深い作品の数々に出会えます。ぜひ足をお運びください。
 
その後、盛岡駅まで歩きました。歩いてみると、いろいろ思いがけない発見があるものです。
 
こちらは岩手県公会堂。昭和27年(1952)に光太郎がここで講演をしています。おそらく当時のままの建物でしょう。
 
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 盛岡市街、この手の古い建物が結構残っています。左下は「もりおか啄木・賢治青春館」。もと第九十銀行だった建物を転用しています。こちらは今回、前を通っただけで中はパスしたのですが、いずれよく観てみようと思っています。
 
街角には啄木もいました(笑)。
 
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 その後、盛岡駅から東北新幹線で帰りました。今回も充実した東北紀行でした。
 
これを読んで行ってみようという気になられる方がいらっしゃったり、あちらの方面に行かれる方のご参考になったりすれば幸いです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月17日

大正4年(1915)の今日、上野精養軒で開かれた作家・歌人の平出修の追悼会に出席しました。
 
平出は与謝野鉄幹の新詩社同人。弁護士資格も持ち、幸徳秋水や管野スガなどのいわゆる「大逆事件」の弁護も務めました。前年のこの日に若くして亡くなっています。
 
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前列左から二人目が平出、後列左から二人目が光太郎、前列右端が鉄幹。明治37年(1904)の撮影です。