3/9(日)、紫波町の野村胡堂・あらえびす記念館を後に、一路、盛岡に向かいました。目指すは今回の東北紀行最大の目的地、盛岡てがみ館さんです。
同館では、先月末から第43回企画展「高村光太郎と岩手の人」が開催中です。
さらに3/9は、関連イベントとして、IBC岩手放送アナウンサー大塚富夫氏による「てがみシアター~手紙の朗読を聴くvol6」があり、この日にお伺いしました。
同館は石川啄木が「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」と詠んだ盛岡城にほど近い、中ノ橋というところにある観光文化交流センター「プラザおでって」の6階です。エレベータで上がっていくと、眼下に中津川。いい感じのロケーションです。
館長さんや学芸員さんにご挨拶、早速、展示を拝見しました。
展示スペースはあまり広くありませんが、写真パネル等効果的に使い、見やすい展示になっています。
展示されている書簡は20通あまり。同館所蔵のもの、それから同じく盛岡にある盛岡先人記念館さんや盛岡市で所蔵しているのものなどでした。書簡以外にも肉筆の詩稿も展示されています。
「そうだったらいいな」と思っていたのがまさにビンゴでした。『高村光太郎全集』等に未収録の書簡もあったのです。聞けば、盛岡先人記念館さんにて最近入手されたものだそうです。いずれ当方編集の「光太郎遺珠」にてご紹介したいと思っております。
光太郎関連以外にも常設展示ということで、宮澤賢治や石川啄木の書簡なども並んでいます。この二人はともに夭折していますので、残っている書簡の数も少なく、非常に貴重なものです。
そうこうしているうちに、花巻の財団法人高村記念会の高橋邦広事務局長がいらっしゃいまして、お土産をいただきました。つい先日、花巻のお寺で見つかったという、仏像の縁起書のコピーです。光太郎とも関わっており、のちほどこのブログにてもご紹介します。
さて、午後2時となり、IBC岩手放送アナウンサー大塚富夫氏による「てがみシアター~手紙の朗読を聴くvol6」が始まりました。驚いたことに、展示スペースに椅子を並べてイベント会場としていました。ギャラリーなどではそういうこともしばしばあるのですが、文学館の類では別室で行うことが普通です。まぁ、展示資料を視界に入れながら聞く、というのもよいものでした。
朗読されたのは、光太郎の詩、水沢町出身の美術評論家・森口多里宛の書簡や、昭和51年(1976)読売新聞社盛岡支局刊行の『啄木・賢治・光太郎 201人の証言』の一節など。先日このブログでご紹介した、昭和25年(1950)の光太郎誕生日に関するものでした。
同館ではこうした朗読イベントも不定期に行っているそうです。
第43回企画展「高村光太郎と岩手の人」、会期は6月までと、かなり長めです。また、4月、5月にも関連行事が予定されています。
ふみの日ギャラリートーク 「高村光太郎と岩手の人」 [開催日]4月23日(水)
館長によるギャラリートーク 「高村光太郎と岩手の人」 [開催日]5月31日(土)
ぜひ足をお運びください。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月16日
平成14年(2002)の今日、NHKラジオ第2放送「NHKカルチャーアワー文学と風土」で「北国名作探訪 第24章 雪中独居……高村光太郎『典型』ほか」がオンエアされました。
ナビゲーターは作家の高田宏氏。花巻郊外旧太田村の山小屋での光太郎が取り上げられました。上記画像のテキストも販売されています。2枚目のゴム長靴の写真は、十和田湖畔の裸婦群像制作のため上京した昭和27年(1952)10月、上野駅での一コマです。