昨日は都内2ヶ所を廻ってきました。
1ヶ所め、三鷹。
福岡を拠点に「智恵子抄」などのひとり芝居をなさっている玄海椿さんの東京公演「ロックンロール黒田官兵衛」、それからアクタースクール講師もされている玄海さんの教え子さん達のミュージカル「キッド」を観て参りました。
戦国や幕末の歴史物は大好きですし、ミュージカルの方も、頑張っても頑張っても光が見えず、夢と現実のはざまで苦悩する劇団員たちを描いた内容が、金にならない文化活動を続ける我が身とダブり、自虐的に面白く感じました。
終演後、玄海さんには「ぜひとも東京で「智恵子抄」を」とお願いしておきました。期待したいものです。
2ヶ所め、表参道。
駅前の山陽堂ギャラリーさんでの「女川だより――あの日からの「家族の肖像」展」、及び関連行事としてのトークイベントを聴いてきました。
講師は宮城県女川町立女川中学校教諭 佐藤敏郎先生と、朝日新聞石巻支局記者 小野智美さん。
佐藤先生は、旧女川第一中学校(現・女川中学校)で、震災直後の2011年5月から、俳句の創作の授業をなさり、小野さんがそれを編集し、一冊の本になっています。題して「女川一中生の句 あの日から」。
さらに佐藤先生は「「いのちの石碑」建立プロジェクト」にも関わられ、小野さんはそれも記事に書かれています。
さらに言うなら、佐藤先生の末のお子さんは、3.11当時、津波で全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明となった石巻市立大川小学校6年生。そして74人のうちの1人だそうです……。その後、「小さな命の意味を考える会」を設立、代表を務められているとのこと。
そのお二人によるトークということで、その当時の女川の様子、授業風景、「いのちの石碑」建立の舞台裏など、興味深い、そして感動的なお話がたくさん聴けました。
トークイベント終了後、お二人と少しお話をさせていただきました。お二人とも、当方も関わっている女川光太郎祭に何度か足を運ばれたそうですし、特に小野さんは、現在、女川光太郎祭を取り仕切られている佐々木英子さん(女川の光太郎文学碑建立に尽力された故・貝(佐々木)廣さん夫人)とツーカーだそうで、世間は狭いな、と感じました。
先の話になりますが、今年も8月9日(土)に女川光太郎祭が開かれるはずですので、みなさんにもよろしくお願い申し上げます。
また明日から東北レポートに戻ります。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月15日
明治45年(1912)の今日、美術新報社主催の「第三回美術展覧会」が開かれ、日本画「無題」を出品しました。
美術学校での授業には日本画の臨画がありましたし、卒業後も与謝野晶子が短歌を揮毫し、光太郎が絵を描いて屏風に仕立て、新詩社の支援者に買って貰う、などといったこともやっており、実は光太郎の日本画、少なからず残っています。
ただ、右の画像(「無題」)のように、臨画ではない作品はかなり斬新なものです。