3/8、9東北紀行レポートの3回目です。
3/9(日)、仙台から東北新幹線に乗り、北上で在来の東北本線に乗り換えました。この日最初の目的地は、岩手県紫波郡紫波町にある「野村胡堂・あらえびす記念館」さんです。
最寄り駅は「日詰」。花巻と盛岡の中間ぐらいでしょうか。
ホームに降り立ち、乗っていた列車が発車して行ってしまうと、実に意外な音、というか声が聞こえてきました。何と、白鳥の声です。
ホームから見える田んぼに、ざっと百羽以上の白鳥の群れ。
湖などでなく、こういう形で白鳥を見たのは初めてで、感動しました。
駅前には宮澤賢治の短歌が記された碑がありました。
曰く、
さくらばな 日詰の駅のさくらばな かぜに高鳴り こゝろみだれぬ
大正6年(1917)、盛岡高等農林学校在学中の作品だそうです。
ところで野村胡堂・あらえびす記念館さん。ケータイの地図アプリで見てみると、日詰駅から約3.5㎞。路線バスは見あたらず、タクシーもいません。仕方なく、歩くことにしました。まぁ、毎日犬の散歩で5~6㎞歩くことはざらですので、さほど苦にはなりません。ただ、一泊分の大荷物を担いでなのが大変でした。
野村胡堂は光太郎より一つ年長。ここ、紫波町の出身で、「銭形平次」シリーズの著者として有名です。また「あらえびす」の筆名で音楽評論家としても活躍しました。
そして胡堂の妻・ハナが、日本女子大学校で智恵子の二学年下にいて、テニス仲間。福島油井村の智恵子の実家に泊まったこともあるそうです。そんな縁で、明治43年(1910)に行われた、胡堂とハナの結婚披露では、智恵子が介添えを務めています。
野村胡堂・ハナ夫妻
というわけで、光太郎智恵子関連の収蔵品があるかも知れないと思い、行ってみることにしました。
途中の北上川に掛かる橋の欄干です。さすが「銭形平次」の里。ところで平次の恋女房・お静には、愛妻・ハナのイメージが投影されているそうです。当方、テレビ時代劇の「銭形平次」-最初の大川橋蔵さん主演の-での香山美子さんのイメージが鮮烈に残っています。「お前さん、いっといで」と切り火を切って送り出すような。
記念館の少し手前に、野村胡堂の生家も残っていました。
立派な日本家屋ですが、驚いたことに、まだ「野村さん」がお住まいです。帰ってから調べてみたところ、住まわれているのは胡堂の弟のご子孫だそうです。
さて、記念館につきました。
入口では胡堂の胸像が出迎えてくれます。
さらに館内に入ると、北大路欣也さん主演のシリーズで実際に使われた平次の衣装が出迎えてくれます。が、ここからは撮影禁止。そこでパンフレットの画像を載せさせていただきます。
展示スペース、それほど広いわけではありませんが、導線がしっかりしているうえに壁の使い方が特徴的で、面白いと思いました。当方、花巻の光太郎記念館改修などに関わっているので、そういうところに目が行ってしまいます。
胡堂本人の資料ももちろん、島崎藤村の書や手紙などが多く展示されていました。他に江戸川乱歩やサトウハチローなどからの書簡も。
残念ながら光太郎智恵子に直接関わる展示物はなかったのですが、胡堂の生涯を紹介するビデオでは、先述の結婚披露宴介添えの話で、智恵子に触れていました。
それから音楽評論家「あらえびす」としてのレコードコレクションもものすごいのですが、こちらはリスト作成中とのこと。もしかすると光太郎作詞の戦時歌謡などの類も含まれているかも知れません。今後に期待します。
さて、意外とじっくり観たので、時間がおしてしまいました。次なる目的地、盛岡てがみ館に午後2時には入らないといけませんし、その前に昼食も取りたいところです。また日詰駅まで大荷物を抱えて3.5㎞、さらに在来の各停で盛岡、そして盛岡駅からてがみ館までも約2㎞……というのも大変だと思い、奮発してタクシーを使うことにしました。
盛岡編はまた後日。
今日はまた都内に出かけて参ります。用件は二つ。まずは福岡を拠点に活動されている女優の玄海椿さんの舞台を三鷹まで見に行きます。玄海さんの舞台は一昨年、「智恵子抄」が演目だった時に福岡まで観に行きました。今回は東京公演で、「黒田官兵衛」だそうです。
それから表参道のギャラリー山陽堂さんにて、「女川だより――あの日からの「家族の肖像」展」とトークイベント。
明日のこのブログは東北レポートを一旦休止してそちらをレポートします。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月14日
平成5年(1993)の今日、宮城県唐桑町(現・気仙沼市)御崎の海岸公園に、光太郎歌碑が除幕されました。
女川同様、昭和6年(1931)の「三陸廻り」で光太郎が訪れた記念です。
刻まれているのは短歌。
黒潮は 親潮をうつ 親潮は さ霧をたてゝ 船にせまれり