3/8(土)、山形の最上義光歴史観を後にし、仙台へ向かいました。
 
仙台での目的地は、伊達政宗公の青葉城の一角にある仙台市博物館です。こちらでは以下の企画展が開催中です。 
 
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東日本大震災復興祈念・新潟県中越地震復興10年 法隆寺 祈りとかたち

会期:平成26年3月1日(土)~4月13日(日) 月曜休館 9:00~16:45(入館は16:15まで)
 
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公式サイトより。
 
 飛鳥時代に聖徳太子によって建立された法隆寺は、日本を代表する寺院として多くの人々に親しまれています。天智天皇9年(670)の落雷による火災で大きな被害を受けたとされ、和銅4年(711)頃に現在の中心伽藍が整ったと考えられています。復興された法隆寺は、聖徳太子と関わりの深い仏像が安置されるなど太子信仰の寺院として多くの信仰を集めます。約1300年にわたり保護されてきた世界最古の木造伽藍は、1993年に日本で初めて世界文化遺産に登録されました。
 本展は、東日本大震災の発災から3年を迎えるにあたり、震災からの復興を祈念して開催するものです。法隆寺がたどった復興から現在へと至る歴史を踏まえながら、同寺の宝物をはじめとする様々な美術品を一堂に展示します。
 また、岡倉天心(1863-1913)以来、法隆寺宝物の保存と継承に携わってきた東京美術学校(現 東京藝術大学)の関係者が同寺へ奉納した絵画や什物などを展示し、法隆寺が日本の文化興隆に果たした役割と、そこに携わった人々についても紹介します。
 
展示は三部構成となっており、第一部が「法隆寺-その美と信仰 法隆寺の仏教美術」、第二部が「法隆寺と東京美術学校」、第三部が「法隆寺と近代日本美術」です。
 
光雲が教授を務め、光太郎も在籍した東京美術学校と法隆寺は、密接な関係があります。古くは美校設立に尽力した岡倉天心とアーネスト・フェノロサによる救世観音像等の調査などが有名ですし、その後も寺宝の保存、継承のために美校の果たした役割には大きなものがありました。
 
そこで、第二部では美校関係者の法隆寺に関わる作品、ということで、光雲の「聖徳太子像(摂政像)」(昭和2年=1927)が並んでいます。また、第三部には、法隆寺の103世管主であった佐伯定胤の像も。こちらも光雲作です(昭和5年=1930)。
 
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聖徳太子像の方は高さ約16㌢の小さなものですが(それでも、というかそれだけに非常に精緻です)、佐伯定胤像の方は同じく約90㌢。光雲作の木彫の中では大作の部類に入り、非常に迫力があります。約90㌢という数字は図録で調べましたが、実際に見た感じはもっと大きな感じです。この像は、頭部の原型を光太郎が作っており、その意味では光雲・光太郎親子の合作といってもよいと思います。
 
その他、飛鳥時代から近現代に至る寺宝の数々が展示されており、見応えのある企画展でした。
 
さて、この企画展、以下の日程で巡回となっています。
 
仙台展 仙台市博物館      2014年3月1日(土)~4月13日(日)
東京展 東京藝術大学大学美術館 2014年4月26日(土)~6月22日(日)
新潟展 新潟県立美術館     2014年7月5日(土)~8月17日(日)
 
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図録にはもう一点、光雲作の聖徳太子像が掲載されています。こちらは新潟展のみの出展です。
 
ぜひお近くの会場へ足をお運び下さい。
 
さて、企画展を見終わり、せっかくなので周辺を少し歩きました。山形は雪でしたが、仙台は晴れていました。
 
博物館の裏手には、かつて東北大学医学部の前身・仙台医学専門学校に留学していた魯迅の顕彰碑と胸像。
 
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さらに伊達政宗公の胸像もありました。
 
政宗公には有名な騎馬像がありますが、光太郎や光雲作の銅像と同じく、ご多分にもれず戦時に金属供出の憂き目にあいました。この胸像は供出されたあと、上半身部分のみ鋳つぶされずにうち捨てられていたものだそうです。
 
その後、たまたま残っていた原型を元に、2代目の騎馬像が鋳造されたそうです。それがこちら。博物館の裏手を登っていったところにあります。
 

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ここからの仙台市街のながめはgoodでした。
 

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その後、この日は仙台駅前に宿を取りました。続きはまた明日。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月13日

昭和25年(1950)の今日、岩手黒沢尻の森口多里(美術評論家)の疎開先で、誕生日祝いの会食をしました。
 
昨年の今日、このブログの【今日は何の日・光太郎】に書きましたが、3月13日は光太郎の誕生日です。生誕131年ということになりますね。
 
で、昭和25年(1950)の今日、講演旅行の帰りに寄った森口の疎開先で饗宴にあずかりましたが、参会者の誰もその日が光太郎誕生日とは言われるまで知らず、全員サプライズの誕生祝いになったとのこと。こちらも昨年のこのブログに書きましたのでご覧下さい。