今日も宮城・女川の話題をお送りします。
 
昨日、高村光太郎文学碑近くの津波で倒れたビル解体に関するニュースについて書く都合上、女川町のホームページを調べたところ、町の広報誌がPDFで出てきました。
 
その中で、このブログでご紹介した、女川中学校さんでの「いのちの石碑」建立に関しても記述がありました。
 
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いのちの石碑除幕式 千年後の君へ、想い届け

 「千年後の命を守るために」そう刻まれた石碑が姿を現した時、それは生徒たちの〝想い〞がようやく形になった瞬間でした。
 
 震災直後に入学した女川中学校の3年生が、社会科の授業を通じて作り上げた防災プラン。「絆を深める」「高台への避難ルートの確保」「記録を残す」、この3つを机上のアイデアにとどまらせないよう踏みだしたのが、いのちの石碑プロジェクト。
 
 中学生たちは町にある21の浜に石碑を建てるため、多方面で津波対策案を発表しながら募金活動を実施し、約半年で1000万円超に。さらに、その想いを知った山田石販の山田政博氏が石材を寄贈し、11月23日、約300人の関係者が見守る中、1碑目の除幕式が女川中学校で行われました。
 
 当日は、津波対策実行委員会の中心メンバーがこれまでの経緯や石碑に込めた想いを報告。また、流木から作られたTSUNAMIヴァイオリンを使って渋谷由美子さんが「花は咲く」を演奏し、参加者それぞれが千年後の女川の姿に思いを巡らせました。
 
 「子どもたちが〝行動〞することでプロジェクトが動きだし、応援が起き、今日につながりました。
それが大事。この子どもたちの行動に拍手を送りたい。アクションを起こし、動きださなければ変わりません。子どもたちが自らまちの再生へ、そしてこれからの日本を大きく支えてくれると思います」とは須田町長。
 
 高橋校長も「今の3年生は震災の年に入学しました。彼らの素晴らしいところは発信しただけでなく〝行動〞したということ。 10年後、20年後の未来を担うのは彼ら中学生です」とエールを送った後、全国から支援いただいたみなさんに感謝の意を述べました。 
石碑は幅1メートル、高さ2メートルで、その右肩上がりのデザインは復興を目指す女川の姿そのもの。そこに刻まれた生徒たちの真摯な想いが、後世まで末永く届きますように。
 

ぼうさい甲子園でグランプリを獲得

 それぞれの石碑には、生徒たちが震災を詠んだ俳句が各地域で内容を変えて刻まれ、女川中学校の石碑には「夢だけは壊せなかった大震災」が選ばれました。石碑裏面には防災プランが英語、フランス語、中国語にも訳されています。
 
 また、兵庫県・毎日新聞社・(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構が行う「ぼうさい甲子園(1.17防災未来賞)」において、同プロジェクトを進めた女川中学校がグランプリを獲得。表彰式は1月12日に兵庫県公館で行われます。
 
以前にも書きましたが、かつて平成3年(1991)、女川港に高村光太郎文学碑が「100円募金」で建立されたのにあやかって、生徒たちが募金活動を行ったそうです。高村光太郎文学碑建立に尽力した故・貝(佐々木)廣さんの魂が息づいています。
 
さて、「東日本大震災 写真保存プロジェクト」サイトというがあります。
 
以下、利用ガイドから。
 
2011年3月11日に発生した東日本大震災。
この出来事を記録した、より多くの写真や動画、ウェブページなどを後世に伝えるため、インターネット上の記録を紹介する機能を追加しました。
●目的「東日本大震災 写真保存プロジェクト」(以下「本プロジェクト」)は ・震災前の、美しい日本の記録を保存すること
・未曾有(みぞう)の震災を風化させず、後世に伝えること
・将来の防災研究などに役立てること
を目的とした、非営利目的のプロジェクトです。
●募集内容
次の内容が記録された「写真」をはじめ、「動画」、「ウェブページ」、「ブログ記事」、などを広く募集いたします。
・東日本大震災のありのままの状況
・震災前の、かつての日本のすがた
・復興のようす

正確な資料として後世に役立てるため、「撮影日」「撮影場所」の正しい記載にご協力ください。
 
というわけで、震災前後の被災地の様子を永久に残していこうというプロジェクトです。
 
この趣旨に賛同し、当方も自分で撮影し、このブ001ログでご紹介してきた女川や石巻の様子を投稿しました。
 
その他にも今日現在で6万件超の投稿があります。震災の記憶を風化させないためにも、ご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月6日

昭和22年(1947)の今日、花巻光が太田村山口の光太郎の山小屋を、筑摩書房の編集者・竹之内静雄が訪れました。
 
竹之内と光太郎は戦前からの旧知の仲で、旧交を温めました。この時の様子は光太郎日記に記されている他、昭和61年(1986)の花巻光太郎祭で竹之内が行った記念講演で語られ、竹之内の著書、講談社文芸文庫『先知先哲』に「戦中戦後の高村光太郎」として収められています。