新刊です(といっても2ヶ月程経ってしまっていますが)。
江戸・東京のドラマを訪ねて 山手線沿線めぐり
2013/12/15 中島克幸著 文芸社発行 定価1400円+税
山手線全29駅を起点にぐるりとめぐる小旅エッセイ。歴史好きの著者ならではの視点で、44カ所の名所・旧跡を紹介する。高層ビルの狭間にこんな場所があったなんて……、ふだんよく通る場所なのに……と、知っているようで知らなかった奥深い東京の魅力を再発見。関連する人物や事柄を解説するMEMOやアクセスも掲載しているので、週末にでも訪れてみてはいかが。
新橋から始まり、山手線をぐるっと内回りで有楽町、東京、神田、秋葉原……そして浜松町までの全29駅で、それぞれの近くにある名所旧跡、知られざる歴史スポットの紹介というコンセプトです。
「「僕の前に道はない」――触れた詩人の心 16・西日暮里① 高村光太郎記念碑」で、荒川区立第一日暮里小学校まえにある「正直親切」の碑が扱われています。
それから同じく西日暮里で「「女性は太陽であった」――女性解放運動の聖地 17・西日暮里② 青鞜社発祥の地」に、団子坂上の青鞜社跡(物集和子邸跡地)も。
ぜひお買い求めを。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月20日
昭和5年(1930)の今日、雑誌『カジノ・フオーリー』に詩「カジノ・フオリイはいいな」が掲載されました。
カジノ・フオリイはいいな
カジノ・フオリイはいゝな
わかくて、新らしくて、水々しくて
みみつちくて、アンチイムで
かうなると
ヴイユ・コロムビエよりもいいな
巴里にいるコレツトさん
ちよいと此のアツカリアムをのぞきませんか。
「カジノ・フォーリー」は、昭和4年(1929)、浅草水族館2階の余興場を本拠として設立された軽演劇団です。エノケンこと榎本健一が所属し、同8年(1933)まで活動を続け、一世を風靡しました。川端康成も小説「浅草紅団」で取り上げています。『カジノ・フオーリー』は同劇団発行の雑誌です。
「アンチイム」(intime)は仏語で「くつろいでいるさま、親しいさま」。「ヴイユ・コロムビエ」はパリ6区のヴィユ・コロンビエ通りに立つフランス現代演劇の拠点となった劇場。「コレツトさん」はやはりフランスの女性作家シドニー・ガブリエル・コレット。「アツカリアム」(Un aquarium)も仏語で「水族館」。
浅草近辺は、その若い頃から光太郎のテリトリーで、カジノ・フォーリーにも足を運んでいたようです。昭和25年(1950)に書かれた散文「松木喜之七遺稿集「九官鳥」によせて―松木喜之七氏と私の鯉―」でも触れています。
何年のことだつたか忘れたが、まだ浅草公園水族館の階上に「カジノフオリ」などといふ汚い劇場があつて、今のエノケンがまだそこの小さな人気俳優であつた頃のことだから随分昔のことになる。
この詩は永らくその存在が忘れられていまして、筑摩書房の増補版『高村光太郎全集』に収録されていません。非常に特殊な雑誌に発表されたのと、光太郎が手元に残した手控えの詩稿の束にも入っていなかったのが理由です。書簡や散文、座談会記録などはまだまだたくさん出てきますが、詩が新たに見つかった例はほとんどなく、見つけた時は実に驚きました。
数年前、とある古書店の目録に『カジノ・フオーリー』が揃いで掲載され、執筆者として光太郎の名も載っていました。数十万円の値が付いており、とても手が出ないと思っていましたら、駒場の日本近代文学館に収蔵されていることがわかり、現物を見て参りました。見るまで詩だと知らず、ちょっとした散文か何かだろうと高をくくっていたのですが、全集未収録の詩だったので驚いた次第です。
短い即興的とも云える詩ですが、「わかくて、新らしくて、水々しくて/みみつちくて、アンチイムで」あたりには光太郎詩の特徴がよく表れています。たたみかけるように言葉を並列する技法ですね。
有名な「根付の国」(明治43年=1910)では、
頬骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の彫つた根付(ねつけ)の様な顔をして
魂をぬかれた様にぽかんとして
魂をぬかれた様にぽかんとして
(略)
猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人
というふうに同じ技法が使われています。
さらに、これも有名な「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)では、「~ぢやないか」という表現が繰り返されます。