東京で北川太一先生を囲んでの新年会を行った11日(土)、青森十和田では、十和田湖奥入瀬観光ボランティアガイドの皆さん、地元の自然ガイドクラブの方々を中心に、十和田湖畔の裸婦群像―通称「乙女の像」―に関する勉強会を行ったそうです。
 
昨秋、当方も同行した北川太一先生宅と、光太郎の令甥・規氏が住まわれる高村家訪問の様子のビデオを観ながらだったとのこと。
 
 
毎日まじかに見ている湖畔休屋の方が「乙女の像は高村光太郎の作品である。とはご紹介しますが、『裸婦群像(乙女の像)は十和田の深く美しい自然から、世界に向けて発信する命を繋ぐ愛と救済のシンボル』だったとは知りませんでした。ご案内の際は、乙女の像に込められた光太郎の深い想いを伝えたい。」と感想を述べていました。
 
今回の企画テーマ「乙女の像を探る」から地元の私達は、十和田湖畔に建つ「乙女の像・裸婦群像」の意味を少し分かった気がします。
 
十和田湖の美しさも深いけど、乙女の像も深いなぁ〜・・・
 
その通りですね。
 
ちなみに十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんのサイト、今月初めにも「十和田湖畔に建つ裸婦群像[2]」と題して記事が書かれています。
 
本当にそんじょそこらに無秩序に建つ銅像や野外彫刻とは違い、彼の地の宝ですので、大切にしていっていただきたいものです。
 
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画像は昔のテレホンカード。今の季節、こんな感じなのかなと思います。当方、来月には十数年ぶりに対面してきます。
 
ところで十和田といえば、やはり11日(土)、地元青森の地方紙『デーリー東北』さんの一面コラム「天鐘」に光太郎が紹介されました。
 
 

天鐘(2014/01/11掲載)

  高村光太郎は、動物篇という詩の連作でさまざまな動物を取り上げた。ニューヨークにある動物園のオリの前で、シロクマを見つめる男がいた。せっかくの日曜日にである▼〈彼は柵にもたれて寒風に耳をうたれ/蕭条(しょうじょう)たる魂の氷原に/故しらぬたのしい壮烈の心を燃やす〉という一節がある。オリの中に閉じこめられたシロクマに許されていたのは、北極圏に広がる氷原の記憶を呼び起こして、懐かしむ以外になかった▼さらに詩では〈白熊といふ奴はつひに人に馴(な)れず/内に凄(すさま)じい本能の十字架を負はされて紐育(ニューヨーク)の郊外にひとり北洋の息吹をふく〉とその孤独を歌う。人間に捕獲され、自由だった北極から連れて来られたのだろう▼シロクマにとっては、平成も決して平穏な時代ではない。生息地から無理やり引き離されるのではなく、生息地の北極圏で生き、子孫を残していくことが極めて困難になっているからである。絶滅の恐れも指摘される。これもまた、人間に起因する▼人間活動を原因とする地球温暖化は、異常気象や氷雪の融解などさまざまな異変を地球上にもたらしている。国連の気象変動に関する政府間パネルは、警鐘を鳴らし続けている▼地球温暖化によって食糧生産が減少し、人間の安全が脅かされると予測する。適応できる限界を超える異変さえ見込まれる。国家・国益の狭い枠にとらわれない〝地球的な思考〟がなければ、難局を解決できないのではあるまいか。
 
引用されているのは大正14年(1925)に書かれた「白熊」という詩です。明治39年(1906)から翌年にかけてのアメリカ滞在中の経験を元に書かれたもので、遠く故郷を離れた、異郷にある自分と動物園の白熊を重ねています。
ちなみに「動物篇」とあるのは「猛獣篇」の誤りです。
 
コラムでは地球温暖化の問題に話を広げています。今年元日のブログに書きましたが、通称「乙女の像」を作った頃の光太郎は、日本とか西洋とかいったくびきから解放され、地球規模の視点を得ていたといえます。
 
光太郎もさすがに地球温暖化までは予想していなかったとは思いますが、地球規模の視点を得ていた光太郎の作品として、通称「乙女の像」に対峙していただきたいものです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月14日

明治36年(1903)の今日、光雲が第5回内国勧業博覧会審査官に任命されました。
 
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