暮れに岩手花巻の浅沼隆様から地元紙『岩手日日』さんが送られてきました。
浅沼さんは花巻郊外旧太田村にお住まいで、太田村時代の光太郎をご存じの方です。昨秋、NHKさんで放映された「日曜美術館」で、その頃の思い出を語られました。現在は農業のかたわら、花巻の財団法人高村記念会理事として、現地での光太郎顕彰活動に取り組まれています。
送っていただいた『岩手日日』さんの記事のうち、先月6日の記事がこちらです。
光太郎の業績伝えて 高村記念会 市へ美術品5点寄付
財団法人高村記念会(佐藤進会長)は5日、詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が制作した美術品5点(評価額6400万円相当)と記念館整備資金として500万円を花巻市に寄付し、同市太田の高村光太郎記念館で後世に伝えていくよう願った。
寄贈された美術品は▽十和田湖畔裸婦像原型▽光雲還暦記念像(光雲の首)▽少年の首(薄命児頭部)▽裸婦坐像▽手。
同記念会の佐藤会長、宮澤啓祐理事ら関係者が市役所を訪問、父親の故隆房さんが光太郎と親交のあった佐藤会長は「高村先生のことを忘れてもらいたくない。市から支援を頂いて後世に残したい」と語り、美術品と寄付金の目録を受け取った大石満雄市長は「本物の作品が花巻にあるのはすごいこと。後世に残すため十二分に対応していきたい」と応じた。
東京出身の光太郎は、宮澤賢治との縁で花巻に疎開し7年間暮らした。
市は、同市太田の旧花巻歴史民俗資料館を活用し、同記念会が設置・運営して老朽化していた高村記念館の収蔵資料を全て移す計画で「高村記念館」を整備している。光太郎の生誕130年に当たる2013年度は、5月15日の高村祭に合わせてプレオープンした。
新しい記念館では、今回寄贈された美術品5点を含む光太郎の彫刻、書画、文芸、愛用品などを展示している。光太郎の顕彰施設としては国内唯一で、市賢治まちづくり課によると入館者数は着実に伸びているという。
14年度も施設や周辺環境の全体整備を継続し、光太郎の疎開70年目に当たる15年度の本格オープンを目指している。
というわけで、昨春仮オープンした高村光太郎記念館で展示されている光太郎ブロンズ彫刻のうち、5点が財団法人高村記念会から花巻市に寄贈され、所有権が移ったという記事です。
彫刻の名前が、多少誤解を招きそうなので補足しますが、「十和田湖畔裸婦像原型」とあるのは「十和田湖畔の裸婦群像のための中型試作」が正しい名称で、七尺の十和田の裸婦群像の2分の1スケールで作られた試作です。
「光雲還暦記念像(光雲の首)」とあるのは、「光雲の首」を正しい名称としています。明治44年に作られた「光雲還暦記念像」そのものは空襲で焼け、現存しませんが、こちらはそのための試作として作られたと推定されているものです。石膏のまま高村家の蔵から見つかり、昨秋亡くなった人間国宝の鋳金家・斎藤明氏がブロンズに鋳造しました。
ところで記事にもあるとおり、今後も花巻の記念館の整備が続きます。当方、そちらにも関わっております。
それからやはり記事にあった高村記念会の創設者・佐藤隆房に関する企画展「佐藤隆房展―醫は心に存する―」が、現在、花巻市博物館で開催中です。当方、来週、観行く予定です。
花巻の今後にご注目下さい。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月5日
大正4年(1915)の今日、北原白秋に宛てて年賀状を書きました。
麻布区坂下町十三 北原白秋様
賀正 大正四年一月五日 駒込林町二十五 高村光太郎 <いつも貴重な雑誌を頂いて居りましてありがたく存じます。>
当方、今年もたくさんの年賀状を頂いております。ありがとうございます。