というわけで、平成26年(2014)となりました。
上記画像にもあるとおり、今年は大正3年(1914)の詩集『道程』刊行、そして光太郎智恵子の結婚披露から数えて100周年です。それらを軸に顕彰活動を展開して参りますので、よろしくお願いいたします。
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月1日
昭和25年(1950)の今日、『読売新聞』に詩「この年」が掲載されました。
この年
日の丸の旗を立てようと思ふ。
わたくしの日の丸は原稿紙。
原稿紙の裏表へポスタア・カラアで
あかいまんまるを描くだけだ。
それをのりで棒のさきにはり、
入口のつもつた雪にさすだけだ。
だがたつた一枚の日の丸で、
パリにもロンドンにもワシントンにも
モスクワにも北京にも来る新年と
はつきり同じ新年がここに来る。
人類がかかげる一つの意慾。
何と烈しい人類の已みがたい意慾が
ぎつしり此の新年につまつてゐるのだ。
雪に覆われた光太郎居住の山小屋(高村山荘)
その若き日には、西洋諸国とのあまりの落差に絶望し、「根付の国」などの詩でさんざんにこきおろした日本。
老境に入ってからは15年戦争の嵐の中で、「神の国」とたたえねばならなかった日本。
そうした一切のくびきから解放され、真に自由な心境に至った光太郎にとって、この国はむやみに否定すべきものでもなく、過剰に肯定すべきものでもなく、もはや世界の中の日本なのです。
素直な心持ちで「原稿紙」の「日の丸」を雪の中に掲げる光太郎。激動の生涯、その終わり近くになって到達した境地です。
さて、昨年のこのブログで、365日、【今日は何の日・光太郎】を書き続けました。年月日の特定できる主な事象はあらかた書き尽くしました。
とはいうものの、時には大きな出来事が見あたらず、日常の些細な出来事を記したり、光太郎生誕以前や歿後のことを書いたりした日も多くありました。しかし、逆にたまたま年が違う同じ日に重要な事象が重なっている日もあり、その一方は泣く泣く割愛しました。
そこで、【今日は何の日・光太郎 補遺】。もう一年、続けてみようと思っています。お楽しみに。