平成25年(2013)も、とうとう今日で終わりです。
昨日からの続きで、光太郎智恵子をめぐるこの一年を振り返ります。
日本各地での顕彰活動も盛んでした。
青森十和田。今年は十和田湖畔の裸婦群像建立60周年ということで、来年にかけてもいろいろと動きがあるようです。
岩手花巻。昨日もご紹介しましたが、光太郎が暮らした太田地区の山小屋「高村山荘」、その近くの高村光太郎記念館を拠点に、財団法人高村記念会様によって、各種活動が行われています。
高村記念館仮オープン、第56回高村祭報道。
福島二本松では、智恵子命日の「レモン忌」、智恵子のまち夢くらぶさんによる「智恵子講座'13」、「智恵子に扮する有馬稲子像」も展示された「五星山」展。かつて舞台で智恵子を演じられた有馬稲子さんのトークショーもありました。
東京では高村光太郎研究会様による活動。
こうした動きが途絶えることなく、さらに盛り上がって行ってほしいものです。
しかし、残念なニュースもいろいろありました。
まずは訃報。生前の光太郎を知る方々で、連翹忌にもご参加いただいていた皆さんとしては、3月に詩人の寺田弘氏、6月に鋳金家の西大由氏、11月に同じく鋳金家の齋藤明氏。文筆作品や演劇などの分野で光太郎を取り上げて下さった方々で、西沢利明氏(俳優)、佐野洋氏(作家)、夏八木勲氏(俳優)、やなせたかし氏(詩人)、すまけい氏(俳優)。他に一般の方でも、連翹忌にご参加いただいていた方々の訃報が届いております。
昨日は昨日で、仏教学者の紀野一義氏の訃報が出ました。
仏教学者の紀野一義さん死去 真如会を設立(2013/12/29)
紀野一義さん(きの・かずよし=仏教学者、真如会主幹、元宝仙学園短大学長)が28日、肺炎で死去、91歳。葬儀は親族と近親者のみで行い、お別れの会を後日開く。喪主は長男真輝(まさき)さん。 著書に「生きるのが下手な人へ」、共訳注に「般若心経・金剛般若経」など。在家仏教団体の真如会を設立した。氏には光太郎に触れたご著書が何冊かありました。
左から『遍歴放浪の世界』 昭和42年 日本放送出版協会、『般若心経の風光 観自在の世界』 昭和57年 実業之日本社、『死にざま生きざま 美しき人になりたく候』 昭和53年 PHP研究所。
それから、8月には、昭和8年に光太郎智恵子が滞在し、その当時の部屋がそのまま残っていた、福島の不動湯温泉が全焼、従業員の方が亡くなりました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
さて、今年一年、お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
【今日は何の日・光太郎】 12月31日
昭和45年(1970)の今日、新潮文庫版『智恵子抄』第47刷が刊行、現在と同じ智恵子紙絵を用いたカバーデザインとなりました。
昭和45年(1970)の今日、新潮文庫版『智恵子抄』第47刷が刊行、現在と同じ智恵子紙絵を用いたカバーデザインとなりました。
こちらのコーナー【今日は何の日・光太郎】も、365日、つつがなく書き終えました。ご愛読ありがとうございました。