昨日の『山陽新聞』さん掲載のコラムです。『朝日新聞』さんでいえば「天声人語」にあたる欄でしょうか。昭和22年(1947)の、花巻郊外太田村山口の山小屋で書いた光太郎日記が引用されています。

[滴一滴]   

 〈一月七日 午前まだあたたか。朝食、粥(かゆ)。セリを入れる。七草粥のつもり。雪に埋れて青いものなし。芹(せり)だけ入れる……夜又寒くなる。雲あれど月あかるし。時々雪ふるらし…〉
 「智恵子抄」などで知られる高村光太郎が、晩年の60代のときにつづった日記の一部である。無駄のない、詩的な響きが心地よい。特段変わりばえのしない一日が、何ともきれいに記されるものだ
 年が改まるこの時季、日記が書店の売り場で“主役”になっている。5年や10年連用できるもの、学校での大切な日などを書き込める小学生向け、献立付きの主婦向けなどさまざまだ。日本人ほど日記を書くのが好きな民族はいない、という説もうなずける
 本紙ちまた欄にも、日記を習慣にしている人の投稿がしばしば登場する。30年、50年と続けている人もいる。もう立派な「自分史」「家族史」だろう
 流儀はさまざまだ。楽しいこと以外は書かない。あるいは誰にも言えない愚痴を文字に託す。毎日欠かさぬのが目標という人もいれば、何日分かのまとめ書きを勧める声もある。記憶をたどり、出来事を思い出そうとする努力は脳を活性化させるという
 ブログなどを楽しむ「ネット派」も隆盛だが、心を静めて向き合う手書きの日記帳にはぬくもりがある。つづる文字もどこか優しい。
 
いかにもいよいよ年の瀬、という内容ですね。
 
そこで、今日、明日と2回にわたって、今年1年を振り返ってみます。
 
今年、平成25年(2013)は、光太郎生誕130年ということで、色々と大きな動きがありました。
 

早速手前味噌で申し訳ありませんが、0064月2日、第57回連翹忌を当会主催にて開催し、多くの方にお集まりいただきました。
 
 
5月には先の日記が書かれた花巻郊外の高村山荘近くに、元の歴史民俗資料館をリニューアルして、高村光太郎記念館が仮オープンしました。元々、昭和41年(1966)、近くにこじんまりした記念館が建てられましたが、そちらが手狭となり、設備も整っていないための措置でした。仮オープンは例年行っている高村祭の日に合わせ、渡辺えりさんに記念講演をしていただきました。007
おかげさまで入場者数も伸び、さらに今年から通年開館。来年以降も本格整備が続きます。ぜひ足をお運びください。
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6月から12月にかけ、『生誕130年 彫刻家高村光太郎展』が、千葉市美術館さん、岡山井原市田中美術館さん、愛知碧南市藤井達吉現代美術館さんで巡回008開催されました。ひさしぶりの大規模な光太郎展ということで、いろいろなメディアで取り上げて下さり、3館累計でのべ4万人超の方に御来場いただきました。最後の碧南では、会期終了を待たずに図録が完売とのこと。ありがたいやら申し訳ないやらです。

千葉


10月にはNHKさんの「日曜美術館」で光太郎を取り上げて下さいました。題して「智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」。 なかなか好評だったようです。
日曜美術館、10月6日の放送。
「日曜美術館 智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」。
ネタバレ注意、「日曜美術館」。
レモン忌報道/「日曜美術館」。

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それぞれの関係者の皆様、お疲れ様でした。当方も微力ながらそれぞれに関わらせていただき、望外の喜びです。
 
他にも光太郎智恵子・光雲に関わる展覧会、出版、テレビ放映、公演等、たくさんありました。とりあげてくださり、ありがとうございました。
 
明日もこの項、続けます。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月30日

平成3年(1991)の今日、長く北川太一先生のお手伝いをされていた堀津省二氏が亡くなりました。
 
北川太一先生が刊行されていた頃の『光太郎資料』、そこから生まれた何冊かのご著書、当方も活用させていただいて居ります。