2週間ほど前に、このブログで、彩流社刊・近藤祐氏著『脳病院をめぐる人びと  帝都・東京の精神病理を探索する』をご紹介しました。
 
12月22日付の『朝日新聞』に、作家の荒俣宏氏による書評が出ました。
 
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◇別角度の文学史が見えてくる

 日本近代の精神科病院は、公立施設に限定するならば、都市の美観と治安を守るために路上生活者を一掃する政策から誕生した。明治5年にロシア皇太子が訪日するのに合わせ、困窮者や病者を収容すべく設置された「養育院」内の「狂人室」が起源である。
 
 病者には背に「狂」の字を染めた衣服が着せられ、手枷足枷(てかせあしかせ)を付けられた。明治12年にはこれが独立して東京府癲狂(てんきょう)院となるのだが、やがて有名な相馬事件が発生、発狂と称して癲狂院に押し込められた旧相馬藩主を忠臣が救いだすという大騒動となった。
 
 監獄まがいの悪いイメージを嫌った病院側も、癲狂という語句を抹消するが、「内分泌の多い患者の睾丸(こうがん)を別の患者の腕に移植する」怪実験が行われた戸山脳病院が業務停止になるなど、おぞましい話に付き纏(まと)われた。
 
 本書は知られざる脳病院の歴史を東京エリアに絞って詳述した後、後半で精神科病院が林立する大正期前後に精神を病んだ著名文学者の運命を検証する。
 
 芥川龍之介や宇野浩二の眼(め)に「死ぬまで出られぬ監獄」と映った脳病院の情況を筆頭に、高村光太郎が妻の智恵子を入院させることを最後まで躊躇(ちゅうちょ)し、結局は入院後すぐに彼女を亡くした事情、その脳病院で治療する側にいた歌人斎藤茂吉の心情などを読み進むうちに、精神科病院を介して意外なほど多数の文学者が深く関係を結んでいたことに驚かされる。この文脈で別角度の文学史が語れる。
 
 ただ、本書では作家たちの病歴や妄想幻覚の深い分析が慎重に控えられている。精神科病院に入院させられた中原中也が自宅の屋根に座って弟を見送る場面で、芥川龍之介最後の映像がやはり高い木に登っているシーンだったとする指摘などが興味深いだけに、もう少し突っ込んでもよかった。蛇足だが、中村古峡や石井柏亭の人名が誤植のままなのは、稀(まれ)な書だけに残念。
 
なかなか的確な評です。
 
実は当方、まだ読んでいる途中です。荒俣氏も指摘していますが、時代遅れで、牽強付会に過ぎる精神分析学的手法を取っていないため、読んでいて納得いかない部分はありません。また、芥川や辻潤、宇野浩二らがどんな病状だったのかというあたりを、当時の社会状況や思想史的な潮流に当てはめた論旨が非常に興味深いのですが、やはり何というか、読んでいて非常に痛々しいものがあります。そう感じさせる著者の筆致に感心させられる部分が大きいともいえます。
 
この後、太宰治、中原中也と続いていきます。近いうちに読み終えようと思っています。
 
ところで版元の彩流社さん。今度は光太郎と特異な交流を持っていた詩人、野澤一(のざわ・はじめ)関連の書籍を刊行しました。題して『森の詩人 日本のソロー・野澤一の詩と人生』。さっそく注文しましたので、届き次第詳しくご紹介します。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月25日006

昭和21年(1946)の今日、宮澤清六と共に編者を務めた日本読書組合版『宮澤賢治全集』全6巻の刊行が始まりました。
 
第一回配本の「第二冊」は、『春と修羅』などの詩を収めています。
 
装幀、題字も光太郎。実にいい文字だと思いませんか?
 
黒いもやもやはシミではなくそういうデザインです。