東京本郷の古書店、森井書店さんから在庫目録が届きました。
 
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4月末から5月頭に前号をご紹介しました。

前号に引き続き、新蒐品でみごとなものがたくさん掲載されています。
 
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高村光太郎詩稿額 250,000円
 
昭和14年に書かれた詩「へんな貧」の草稿2枚です。006
 
この男の貧はへんな貧だ。
有る時は第一等の料理をくらひ、
無い時は菜つ葉に芋粥。
取れる腕はありながらさつぱり取れず、
勉強すればするほど仕事はのび、
人はあきれて構ひつけない。
物を欲しいとも思はないが
物の方でも来るのをいやがる。
中ほどといふうまいたづきを
生まれつきの業がさせない。
妻なく子なきがらんどうの家に
つもるのは塵と埃と木片ばかり。
袖は破れ下駄は割れ、
ひとり水をのんで寒風に立つ。
それでも自分を貧とは思へず、
第一等と最下等とをちやんぽんに
念珠のやうに離さない。
何だかゆたかな有りがたいものが
そこら中に待つてゐるやうで
この世の深さと美しさとを007
身に余る思でむさぼり見る。
この世に幸も不幸もなく、
ただ前方へ進むのみだ。
天があり地面があり、
風があり水があり、
さうして太陽は毎朝出る。
この男のへんな貧を
この男も不思議におもふ。
 
前年に智恵子を亡くし、空虚な気持ちで日々を送っていた頃(右上写真がちょうどその頃)の作品です。一方で「勇ましい」戦争詩を書き、その一方でおのれを見つめる眼はかくもニヒリスティックです。
 
「高村光太郎短冊」 350,000円
 
制作年代不詳の短歌を短冊に認(したた)めたものです。短冊自体の揮毫の時期もよくわかりません。
 
山の鳥うそのきてなくむさしのゝあかるき春となりにけらしな
 
目録キャプションでは「うそきて」となっていますが「うそきて」です。うそはつきません。また「あうるよ」ではなく「あかるき」です。
 
おそらく大正14年(1925)、木彫「うそ鳥」の桐箱に書いた次の短歌の異稿といったところでしょうか。
 
山の鳥うその笛ふくむさし野のあかるき春となりにけらしな
 
『万葉集』に収められた志貴皇子の「石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」を彷彿とさせます。
 
 
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「高村光太郎「某月某日」「をぢさんの詩」 葉書1枚共」 400,000円
 
今年の明治古典会七夕古書大入札会 に出たものです。森井さんが落札したのですね。当方、7月に現物を見て参りました

すべて詩人の高祖保にあてたもので008す。高祖は光太郎の詩集『をぢさんの詩』(昭和18年=1943)の編纂を行ってくれた詩人で、その件に関しての礼状、同時に献呈された随筆『某月某日』、そして献呈識語入りの『をぢさんの詩』。

献呈署名には「昭和十八年十一月 一十六歳 高村小父」と書かれています。数え六十一歳だった光太郎が洒落を効かせて「六十一」を「一十六」と倒置しています。
 
此の詩集の成る、まつたく
あなたのおかげでありました
印刷の字配り、行わけ、の比例
から校正装幀などの御面倒
まで見てくださつた事世にも
難有、茲に甚深の謝意を表します
   昭和十八年十一月
      一十六歳 高村小父
 高祖保雅友硯北
 
その他、新蒐品以外でも書簡など光太郎関係のものが在庫として載っていますし、もちろん他の文学者のものも満載の目録です。
 
また、文学というよりは山岳関連の在庫が実に充実しています。辻まこと、串田孫一、畦地梅太郎などなど。
 
森井書店さんサイトのこちらのサイトから目録が請求できます。 
 
【今日は何の日・光太郎】 11月30日

昭和36年(1961)の今日、平河町の砂防会館で開催された「花柳照奈 第五回創作舞踊リサイタル」で、清水脩作曲による「智恵子抄」が発表されました。
 
この時のプログラム等探しています。よろしくお願いいたします。