今日は東京・千駄木に行って参りました。
 
青森・十和田から、奥入瀬観光ボランティアの会の方が上京、十和田湖畔の裸婦群像建立60周年ということで、改めて像の意義、背景を学びたいということで、高村光太郎記念会理事長で、光太郎の令甥・高村規氏、それから同事務局長の北川太一先生それぞれのお宅でお話を聞かれるのに同行しました。
 
他に十和田市役所の方、青森テレビのクルーもご一緒で、青森テレビさんでは今日の様子を番組で取り上げるとのことでした。
 
当方、十和田の皆さんが、高村邸、北川邸にいらしたことがないというので、道案内でした。東京駅で一行と待ち合わせて合流、一路、千駄木に向かいました。まずは北川太一先生のお宅、その後、昼食を近くの食堂で取り、午後は高村邸へ。道々、千駄木駅や団子坂、不忍通りから入った路地、さらに光太郎アトリエ跡などでもロケを敢行しました。こういう場合のご多分に漏れず、やはり雨でした。
 
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高村規氏、北川太一先生、ともにお元気で、主に裸婦像をめぐっての当時のお話などを聴かせていただきました。当方も見たことのない、当時の写真や光太郎自筆の構想メモなども拝見でき、非常に有意義な時間でした。
 
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高村邸
 
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北川太一先生とボランティアの会の方
 
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光太郎自筆構想メモ
 
十和田では今後もいろいろと光太郎顕彰活動的なところを進めて行くとのことで、有り難いかぎりです。そのため、みなさん光太郎智恵子についてかなりお調べになっていて、感心させられました。
 
また、お土産までいただいてしまいました。
 
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その名も「湖畔のおとめ」というブッセ。早速、帰っていただきました。チーズクリームを使った素朴な味わいがいい感じでした。
 
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さらに事前には観光ボランティアの会の方から、段ボールで宅配便が。何かと思って開けてみると……
 
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「十和田湖美水」が24本! 二酸化ケイ素(シリカ)が溶け込んでいるというミネラルウォーターです。感謝、感激。ありがとうございました。
 
ところで十和田といえば、テレビ放映情報があります。 

空から日本を見てみよう+ 青森県八戸から 紅葉の奥入瀬渓流、十和田湖へ

BSジャパン 2013年11月19日(火)  20時00分~20時55分
 
番組初の青森県。漁業の盛んな八戸市から、紅葉の最盛期を迎える奥入瀬渓流沿いに進み十和田湖まで、絶景を堪能、そして不思議な発見をしながら空から眺めて行きます。
 
八戸市を河口とする奥入瀬川沿いに十和田湖まで飛んでゆきます。八戸市に入るといきなり見たこともないスケールの巨大な穴を発見。これは海抜マイナス160mまで掘り進めた石灰石の鉱山で不思議な景色を形成しています。続いて奇妙な土偶の親子の像を発見。その先の八戸漁港はイカの水揚げが日本一。朝市も活気で溢れています。奥入瀬川を遡った畑が広がる一帯では野菜の栽培が盛ん。青森県はリンゴの他、ゴボウやニンニクの生産が日本一で、変わった種植えや収穫の様子を見学します。その先の十和田市は、かつては馬の生産で栄えた町で、最近は町じゅうがアートで彩られています。さらに奥入瀬川を進むと紅葉が広がり渓流の入口に着きます。滝の見える露天風呂の温泉ホテルを経て、渓流沿いの紅葉を眺めて行きます。奥入瀬渓流はコケが育ちやすく、渓流沿いを散策しながら様々な形のコケを発見できます。銚子大滝を過ぎるといよいよ十和田湖が見えてきます。

出演者  伊武雅刀(くもじい) 柳原可奈子(くもみ)

 
ぜひご覧下さい。
 

【今日は何の日・光太郎】 11月15日

昭和2年(1927)の今日、上野の日本美術協会で「大調和第一回展」が開幕しました。光太郎は「某夫人の首」など彫刻五点を出品、展覧会委員も務めました。
 
「大調和展」。官設の展覧会ではなく、武者無題小路実篤、岸田劉生等が音頭を取って始まった展覧会です。
 
「某夫人」とは智恵子です。右がその彫刻の画像。
 
残念ながらこの作品は現存が確認できていません。この他にも智恵子を造った彫刻がありましたが、すべておそらく昭和20年(1945)、太平洋戦争下の空襲で焼失してしまったと考えられています。「いや、これなら、うちの蔵にあるぞ」ということにでもなれば、「超」のつく大ニュースです。蔵をお持ちの方、お調べになってみては?
 
今日も話題になりましたが、十和田湖畔の裸婦群像、「顔は智恵子」とよくいわれますが、光太郎自身は公には明言していません。