昨日は夕方まで花巻市役所がらみの仕事だったもので、花巻駅前の商人宿に一泊、今日は盛岡のさらに北、岩手郡岩手町というところに行って参りました。
昭和27年3月20日の光太郎日記に、以下の記述があります。
午前九時半川口村の公民館帷子敏雄といふ人来訪、公民館図書館の看板の字をかいてくれとの事、鈴木彦次郎氏のテガミ持参、承諾。二枚の板を置いてゆく。
この年の日記は筑摩書房『高村光太郎全集』第13巻に載っており、北川太一先生が書かれた巻末の解題の部分では「川口村は現在の岩手郡岩手町。この看板は現存するという。」とあります。ただ、それ以上具体的なことは不明で、当方、未だこの看板の現物を見ていません。おそらく北川先も伝聞で書かれたのでしょう。
少し前に、ネットでこの看板に関しての記述も見つけました。数年前に書かれたもので、岩手町のいわて沼宮内駅の駅ビル内に郷土資料館があり、そこに展示されているとのこと。
そこで、花巻に行ったついでに見てこようと思い、行ってきたわけです。
さて、いわて沼宮内駅に着き、駅ビル内のネットに書かれていた場所に行ってみました。しかし、郷土資料館なる施設はありません。該当の場所は「会議室」になっていました。ただ、数年前の書き込みだったので、そういうこともあるだろう、と予想はしていました。その場合には聞き込み捜査をするつもりでいましたので、途中で目を付けていた観光案内所に行きました。すると、「町役場で訊けば分かるかも知れません」との答え。役場の場所を教えていただき、行ってみました。
役場では受付の女性職員の方があちこちに内線やら外線やらをかけて下さり、最終的に岩手町の川口公民館につないで下さいました。電話を替わって、これこれこういう物を探している旨を伝えると、館の方からは「それならここにある」という答。なんのことはない、元の場所に戻っていたのです。
下手すると行方不明になっていたり、廃棄されていたりということもあり得るかな、と思っていたので(実際、他でそういう例があり、憤慨したことがあります)、安心しました。
ただ、今日は既に帰りの新幹線の切符を取っていて、川口公民館に廻る時間はありませんでした。また近々行って見てこようと思っています。
それにしても、岩手県内陸部は今日も小雪がち
らつき、岩手町では日陰にはかすかに積雪もありました。改めて東北の自然の厳しさを知った道中でした。
![008](https://livedoor.blogimg.jp/koyama287/imgs/9/6/96b5ab8f.jpg)
明日も岩手レポートを書かせていただきます。
【今日は何の日・光太郎】 11月12日
昭和63年(1988)の今日、光太郎を敬愛し続けた詩人・草野心平が歿しました。
昭和32年(1957)、第一回連翹忌の発起人の一人として案内文を書いた心平。その後も自身が亡くなるまで光太郎顕彰に取り組み続けました。いわば当会の祖、当方の大先輩です。