昨日から愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館において、「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展が開幕しました。
 
ところで館の名前に冠されている「藤井達吉」とは? 今日はそのあたりを書いてみます。
 
一言で言うなら、明治・大正・昭和三代に活躍した工芸家、ということになるでしょうか。
 
生まれは明治14年(1881)、現在の碧南市です。光太郎より2歳年上になります。
 
専門の美術教育は受けておらず、17歳で七宝工芸の店に入ります。折からの博覧会ブームで、明治36年(1903)には内国勧業博覧会、翌年にはセントルイス万国博覧会に出品。そうした中で新しい美術工芸への目を開かれ、店を辞め、作家として立つ道を選びました。
 
明治44年(1911)には、光太郎が経営していた日本初の画廊・琅玕洞に藤井の作品が並んでいます。琅玕洞の名目上の経営者は、光太郎の次弟・道利で、主にその道利の手になる琅玕洞の出納帳的なものが残っています(『高村光太郎全集』別巻に掲載)。そこには藤井作の「土瓶」「茶碗」「湯呑」「茶道具」などが記録されています。
 
さらに藤井は大正元年(1912)に結成されたヒユウザン会(のちフユウザン会)に加わっています。光太郎は同会の中心メンバーの一人でした。
 
実は、光太郎本人と藤井とのつながりはこの辺りまでしかたどれません。『高村光太郎全集』で藤井の名が出てくるのは先の琅玕洞文書だけなのです。光太郎から藤井宛の書簡なども確認できていません。ただ、今後、出てくる可能性がありますので、期待したいところです。
 
ただし、藤井はその後、光太郎の三弟で、鋳金家の豊周と密な関係になります。藤井も豊周も、工芸界の革新運動に取り組み、装飾美術家協会、无型(むけい)などの団体で歩を同じくしています。
 
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写真は昭和2年(1927)の无型第一回展同人。後列中央が藤井、前列左端が豊周です。
 
昭和43年(1968)に刊行された豊周の『自画像』、平成4年(1992)から刊行が始まった『高村豊周文集』(全五巻)には、藤井の名があちこちに出てきます。以下、『自画像』から。
 
富本憲吉のほかに、新興工芸の啓蒙期に忘れられない恩人は藤井達吉と津田青楓である。
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藤井達吉も、伝統やしきたりに拘泥しないで、自由に材料を使って自分の作りたいものを作った。確か三笠という美術店で藤井達吉の個展を見たが、壁掛けに大変打たれた。それまで壁掛けというと、みんなエレガントな貴族趣味のものばかりだったが、藤井達吉の壁掛けは全く庶民的で、生地には普通の木綿やビロードやコールテンなどの端切れを、はぎ合わせたものが無造作に使われている。壁掛けのアップリケに竹の皮が使われているのを見て、私はあっと思った。模様も実に自由で、蝶々とか、とんぼとか、いろいろな野の草を表現し、今まで人が振り返りもしなかった題材や材料を使って、非常に新鮮な面白い効果をあげている。
(略)
藤井達吉のものは、ヨーロッパの影響はまず考えられない。彼は非常に多才な人で、染織も、刺繍も、木彫も、七宝もやった。木彫も全然今までの木彫のやり方に拘泥しないで、まったく自分の感じ方だけでやっている。新しい生命を吹き込むというか、作られたものは何も彼も生き生きとしていた。この人たちは、ようやく胎動期に入った新興工芸の先駆者とも恩人ともいうべきで、私たちばかりでなく、当時新しい工芸の行き方に煩悶していた若い工芸家に大きな影響を与えたといえよう。
 
今年の6月、京都国立近代美術館で開催された企画展「芝川照吉コレクション展~青木繁・岸田劉生らを支えたコレクター」を観て参りました。光太郎の水彩画が並んでいるというので行ったのですが、思いがけず藤井の作品もずらっと出ていました。当方、藤井の作品をちゃんと見るのはこの時が初めてでしたが、そのバリエーションの豊かさに驚きました。同展図録から画像を拝借します。
 
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いかがでしょうか。
 
さて、「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展、碧南市藤井達吉現代美術館で開催中ですが、四室中の一室のみ、常設展ということで藤井の作品も見られます(なんだか庇を借りて母屋を乗っ取っているようで心苦しいのですが)。併せてご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月2日

昭和45年(1970)の今日、TBS系テレビで「花王愛の劇場 智恵子抄」の放映が始まりました。
 
光太郎役は故・木村功さん、智恵子役は佐藤オリエさんでした。佐藤さんは光太郎を敬愛していた彫刻家・佐藤忠良のお嬢さんです。
 
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放映は月から金の13:00~13:30。この年大晦日が最終回だったそうです。
 
主題歌は西尾和子さんで「智恵子抄」。昭和39年(1964)の二代目コロムビア・ローズさんのカバーです。
 
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「流行歌」とか「テレビ映画」という語に昭和の薫りが色濃く漂っています(笑)。