今日は日比谷・銀座に行って参りました。 
 
いろいろ用事を片付ける中、銀座6丁目の株式会社ノエビア銀座本社ビルギャラリーで開催中の田沼武能写真展「アトリエの16人」を観て参りました。
 
8月末から行われていたのですが、気がつくのが遅く、このブログで紹介していませんでした。申し訳ないので実際に足を運んでのレポートといたします。
 
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田沼武能氏は現在も活躍中の写真家。人物写真を多く手がけられ、特に子供の写真で有名ですね。
 
その田沼氏が、かつてそれぞれのアトリエで撮影した16人の美術家のポートレートが並んでいます。
 
以下、ノエビアさんのHPから。
 
「美術家にとってアトリエは戦場である」という田沼武能氏が、アトリエで作品に挑む16人の姿をとらえた写真展です。 美術家の風貌はもちろん、アトリエの空間を通して、その芸術と作品を生み出した時代がよみがえってくるようです。
奥村土牛、岡本太郎、福田平八郎、駒井哲郎、杉山寧、川合玉堂、高村光太郎など、2010年から2013年にかけて都内及び関東近郊の美術館で企画展が開催された美術家も多数含まれています。

 
というわけで、光太郎のポートレートも1枚。昭和28年(1953)、中野のアトリエで撮影されたものでした。光太郎は十和田湖畔の裸婦像を制作していた時期でしたが、像自体は布が巻き付けられた状態で写っています。キャプションには、光太郎が制作途中のものは見せない、と言った旨の記述がありました。
 
しかし、先日も少しご紹介したブリヂストン美術館制作の美術映画では、像の手の部分を制作中のカットがあり、ちょっと矛盾しています。ただ、ブリヂストンの動画でも、顔には布が巻き付けられたままでした。
 
さて、田沼氏の作品。肝心の光太郎は小さく写っています。しかし、その眼光は炯々と光り、まさしく「美術家にとってアトリエは戦場である」との言が納得いきます。その点は他の美術家も同じでしたが。
 
この古武士のような光太郎の風貌には、いろいろな写真家が惹きつけられたようで、早いところでは戦前から、土門拳などが撮影していますし、花巻郊外太田村山口の山小屋にも、土門が再訪したのをはじめ、阿部徹雄、濱谷浩らが撮影に訪れています。
 
それから、光太郎の弟・豊周の子息の高村規氏も、後に写真家となりますが、学生時代に晩年の光太郎をよく撮影していました。連翹忌で飾る遺影は規氏の撮影したものを使わせていただいています。
 
さて、「アトリエの16人」。会期は明後日11/1まで。時間は午前10時~午後6時、入場は無料です。紹介するのが遅くなり、まことに申し訳ありません。お近くの方、銀ブラついでにどうぞ。
 
明日は「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展の最後の巡回先、愛知県碧南市藤井達吉美術館にての開会式・内覧会(一般公開は明後日から)に行って参ります。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月30日6c2092aa

明治36年(1903)の今日、作家・尾崎紅葉が胃癌で歿し、光太郎が東京帝国大学での解剖に立ち会いました。
 
のち、この時の印象を元に「解剖台上の紅葉山人」という彫刻を制作しています。「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展にももちろん並びます。

画像は髙村規氏撮影。光太郎令甥にして、田沼氏と同じく木村伊兵衛に師事した写真家です。