山梨レポートの2回目です。
 
山梨県立文学館さんの「与謝野晶子展」に行く前に、寄り道をしました。目的地は笛吹市立青楓美術館さん。中央高速を勝沼インターで下り、10分程のところにあります。
 
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津田青楓(せいふう)は光太郎より3歳年上の画家。光太郎同様、パリに留学し、そこで光太郎と知り合って、一時は光太郎と親密な付き合いがありました。筑摩書房の『高村光太郎全集』第11巻と第19巻には光太郎の俳句が多数収録されていますが、その中のかなりの部分が津田に宛てて書かれた書簡から採録されたものです。
 
話は変わりますが、JR東日本さんで運営している「大人の休日倶楽部」という会員組織があります。吉永小百合さんご出演のTVコマーシャルをご記憶の方も多いのではないでしょうか。入会すると期間限定の会員限定割引きっぷなどの特典があります。
 
その「大人の休日倶楽部」の会員向けの雑誌に「大人の休日倶楽部ミドル」「大人の休日倶楽部ジパング」という2種類があるそうです。その2誌共通の連載で「一枚の手紙から」というコラムがあり、毎回、近代の文学者が書いた手紙を一通ずつ紹介しています。ちなみに9月号は樋口一葉から半井桃水宛、10月号は堀辰雄から婚約者の多恵子宛、11月号は有島武郎から木田金次郎宛のものです。
 
そして12月号では、光太郎から津田青楓宛の葉書が扱われることになっています。実物は花巻の高村記念会さんで所蔵しているものです。先日、実際に執筆されるライターさんに、当方自宅兼事務所に来ていただき、その葉書の書かれた背景について取材を受けました。くわしくは12月号が世に出てからまた書きます。
 
青楓宛の書簡類は『高村光太郎全集』に9通掲載されていますが、それ以外にもまだまだありそうです。実際、今度の葉書も『全集』未収録。花巻の記念会では東京の古書店から入手したとのことです。また、数年前には、現在北海道にある葉書の情報を得、当方執筆の「光太郎遺珠」に掲載させていただきました。
 
そこで、山梨の青楓美術館にも、もしかしたらあるかも知れないと思い、立ち寄った次第です。
 
結果として、そういったものは所蔵されていませんでしたが、青楓の画業の一端に触れることができ、有意義でした。青楓は与謝野晶子とも交流があり、青楓が絵を描き、晶子が短歌を書いた作品や、青楓が装幀を手がけた晶子歌集の装幀原画なども並んでおり、これから与謝野晶子展を観に行く上で予習にもなりました。他にも夏目漱石や本郷新、伊上凡骨など、光太郎と縁のある人物に関わる展示もあり、興味深く拝見しました。
 
今年は、東京芸術大学美術館で開催された「夏目漱石の美術世界展」に所蔵作品を3点ほど貸し出したとのこと。それらの作品にはそういうキャプションが附けられており、さながら凱旋帰国したかのようでした。
 
山梨と言えば富士山。2階の展示室には、世界文化遺産登録を記念して、青楓が富士山を描いた作品を集めていました。
 
ところで、青楓美術館。もともとは青楓と親交のあった当地出身の個人が開設した美術館だそうです。その後、旧一宮町に経営が引き継がれ、市町村合併で笛吹市が誕生し、現在に至っています。その間、閉館の危機にも見舞われたそうですが、入館者数の増加に向けた取り組みが効果を上げ、存続しています。
 
同館パンフレットの表紙には「ぶどう畑の中にある小さな小さな宝箱!!」のキャッチコピー。ある意味、開き直っていますが(笑)、実際その通りで、大きな街道沿いではなく、小さな路地を入っていったぶどう畑の中に建っています。
 
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しかし「山椒は小粒でぴりりと辛い」。いい所です。ぜひ足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月26日

明治39年(1906)の今日、日本女子大学校で、多くの皇族方を迎え、「秋期文芸会」が催されました。演劇も上演され、舞台の背景(大道具)は智恵子が描いたということです。