年2回、当方が刊行しております004冊子『光太郎資料』の第40集、当会の名簿に載っている方や、全国の主要な図書館、光太郎智恵子に関わりそうな文学館・美術館等に発送いたしました。
 
以前にも書きましたが、元々は昭和35年から平成5年にかけ、高村光太郎記念会事務局長の北川太一先生が刊行されていたものの名跡をお譲りいただきました。
 
内容的には以下の通りです。
 
光太郎遺珠から 第4回 造形作家として(二) 昭和戦前
・ 昭和2年(1927) 福田正夫宛書簡
・ 同         八束清宛書簡
・ 昭和4年(1929) 中込純次宛書簡
・ 昭和5年(1930) 木彫「栄螺」短歌
・ 昭和8年(1933) 「『画工志願』読後感」
・ 昭和11年(1936) 「『青沼彦治翁遺行録』序」
・ 昭和13年(1938) 雑纂 高村光太郎作木彫小品・色紙・短冊頒布
・ 同         森川勇作宛書簡
・ 昭和15年(1940) 雑纂「(私信より)」
・ 同         座談 「第2回研究部座談会」008
・ 同         散文 「仕事場にて」
 
筑摩書房『高村光太郎全集』補遺作品です。テーマ別、時期別にまとめています。 
 
光太郎回想・訪問記 高村光太郎先生のブロンズ鋳造作品づくり 斎藤明
光太郎の弟で鋳金家の高村豊周の助手を長らく務めた人間国宝の鋳金家・斎藤明氏の回想です。実際に各地に残る光太郎ブロンズ彫刻を鋳造した時の経緯等が語られています。
 
光雲談話筆記集成 『漫談 江戸は過ぎる』より 両国の夕凉み(二)
 
昔の絵葉書で巡る光太郎紀行 三陸海岸(宮城・岩手)
 
音楽・レコードに見る光太郎 松本民之助作曲「わが大空」
 
高村光太郎初出索引 た行(一)
 
第五十七回連翹忌報告

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上記画像は原稿をプリントスクリーン機能で画像化したものです。したがって、カラーになっていますが、実際に印刷製本したものはモノクロです。
 
ホチキス留めの手製のもので(印刷のみ印刷屋さんに依頼)お恥ずかしい限りですが、ご希望の方には送料のみでお分けしています。このブログのコメント欄等からご連絡ください(コメント欄には非公開機能もついています)。37集からのバックナンバーも少々残っています。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月19日

明治33年(1900)の今日、東京美術学校の修学旅行で伊豆修善寺を訪れています。
 
光太郎は東京美術学校本科三年生。同四年生(最終学年)の修学旅行は以前にも紹介しましたが、2週間にわたる奈良・京都方面でした。この年は2泊3日、現代の感覚では「修学旅行」というより「宿泊学習」という感じかも知れません。ちなみに1年生では日光に2泊3日、2年生では箱根に1泊2日。毎年「修学旅行」という名称で行っていました。