過日、目黒区駒場の日本近代文学館さんに行って参りました。
 
現在、2階の展示室では秋の「特別展 新収蔵資料展」が開催されています(11/23まで)。
 
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並んでいるのは2010年以降に同館で新しく収蔵した資料の中から選りすぐりの特色のある品々。
 
以下、出品リストです。
 
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まさに宝の山、という感じでした。
 
夏目漱石の「猫の死亡通知」、太宰治の学生時代のノート、三島由紀夫自筆の屏風、江戸川乱歩の草稿、室生犀星の自筆訂正本……。第二展示室では同時開催で川端康成限定のコーナーもありました。近代文学マニアにはたまらないと思います。
 
光太郎に関しても、親交のあった作家・田村松魚に宛てた葉書が4通並んでいました。こういう機会にいつも思うのですが、たくさん並んでいる展示品の中から光太郎の筆跡を見つけると、ふと旧友と再会したような気分になります。
 
ある意味驚いたのは、吉本隆明や干刈あがたの草稿。たしかに故人ですが、過去の文豪たちと同じところに並ぶことで、もう「歴史」の一部になっているのか、という感覚でした。
 
2階の展示を見る前に、1階の閲覧室を利用させていただきました。実はこちらの方がメインの目的でした。
 
やはり新収資料(だと思います。以前にネットで蔵書検索をかけた時にはヒットしませんでしたので)の、大正時代の短歌同人誌『芸術と自由』が目当てでした。同誌の第1巻第8号(大正15年=1926)に、『高村光太郎全集』等に未収録の作品が載っているという情報だけは得ており、確かめようと思ったわけです。
 
すると、「口語歌をどう見るか(批判)」というアンケートでした。短い文章ですが、『高村光太郎全集』等に未収録ですので、貴重な発見です。来春刊行予定の雑誌『高村光太郎研究』中の当方の連載「光太郎遺珠」にてご紹介します。
 
先の展示にしてもそうですが、同館の収蔵資料は、そのほとんどが文学者またはそのご遺族、出版社・新聞社、研究団体など多くの方々からの寄贈によるものだそうです。こうして公の目に触れる形で残されるというのはすばらしいことですね。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月18日

昭和26年(1951)の今日、光太郎危篤というデマが流れ、東京本社から電話を受けた読売新聞の支局の記者が、花巻郊外太田村山口の山小屋に確認に来ました。
 
笑えるような笑えないようなエピソードですね。光太郎、どんな顔をして記者に会ったのでしょうか。