やなせたかしさんが亡くなりました。010
 
やなせさんといえば「アンパンマン」。大学生と高校生の当方の子供二人も、「アンパンマン」で育ちました。上の子供(娘)は何だかんだと突っ込みを入れながら高校生になってもアニメの「アンパンマン」を観ていました。
 
やなせさん、「アンパンマン」だけでなく、詩人でもあり、編集者でもありました。
 
かつてサンリオさんから発行されていた『詩とメルヘン』という美しい雑誌がありました。その編集をなさっていたのがやなせさんでした。
 
『詩とメルヘン』では、平成7年(1995)の6月号で、「智恵子抄」の小特集を組んで下さいました。
 
そこに掲載されたやなせさんの「智恵子抄」評は実に的確なものでした。それだけでなく、その評自体が「美しい」評なのです。 
 
一部引用させていただきます。
 
 詩を書くことによって詩人と呼ばれている人は実は本当の詩人ではない。その人の生きる軌趾がそのまま詩になる人が詩人なのだ。
 その意味では高村光太郎は詩人の中の詩人といえる。そしてその中核になるものが「智恵子抄」だ。
 はじめての愛の詩「人に」は実に「智恵子抄」刊行の三十年前である。
 「智恵子抄」は構想されたのではなく、いつのまにか降る雪のようにつもった。
 あるいは光太郎の人生の足跡の上に自然に咲いた美しい花だ。
 詩とは元来そういうものである。
(略)
 そして、もし詩に関心のない人でも「智恵子抄」は読める。
 有名な「智恵子は東京に空が無いといふ」ではじまる「あどけない話」は小学生でも理解できる。甘い抒情性と通俗性さえもある詩だと思う。
 しかし、その現実は愛する妻が狂ってしまうという耐えがたい悲劇から生まれている。
 純粋に芸術の核心に迫るとすれば無駄なものをすべて剥ぎ落していかなくてはならない。
 光太郎と智恵子はその部分に到達してぼくらに宝石のような詩集を遺した。
 
いかがでしょうか。
 
同じ評の中で、「いやなんです/あなたのいつてしまふのが」で始まる「智恵子抄」巻頭の「人に」について、「最近の現代詩の難解さにくらべれば明快すぎてむしろびっくりしてしまう」とあります。正鵠を射ています。
 
そして同じことはやなせさんの書かれた評にも言えると思います。そして同時に「明快」だけでなく「美しい」。一般向けの評とはかくあるべきではないでしょうか。
 
「視点」がどうの「人称」がどうのと末節にこだわって「木を見て森を見ず」に陥っているもの、「アンチテーゼ」だの「詩的ナントカ」だの、ムズカしい言葉の羅列でお茶を濁して結局何が言いたいのかさっぱり分からないもの、当方、そういう評に触れるたび、やなせさんの「明快」な、そして「美しい」評を思い出していました。
 
心よりご冥福をお祈りいたします。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月16日

大正2年(1913)の今日、神田三崎町のヴヰナス倶楽部で生活社主催油絵展覧会が開かれ、彫刻1点、油絵21点、スケッチ3点を出品しました。
 
昨日のこの項で ふれたヒユウザン会(のちフユウザン会)は、同人の間の方向性の相違から長続きせず、光太郎は同人中の岸田劉生らと新に生活社を立ち上げます。
 
出品した油絵、スケッチはこの年の夏、智恵子と共に滞在した上高地での作品でした。