このブログに何度もご登場いただいている、『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』を刊行された 坂本富江さんからご案内を戴きました。
 
今度は坂本さんの故郷、山梨県韮崎市の市立図書館で『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』の原画展と講演会だそうです。 

追体験! スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 講演会&原画展

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プレ原画展 2013年11月9日(土)~11月9日(土)
原画展・講演会 2013年11月16日(土) 15:15~16:45
場所:韮崎市立図書館
入場無料
定員30名(申し込み先着順) tel 0551-22-4946(韮崎市立図書館)
 
山梨では先に紹介した甲府の山梨県立文学館で「与謝野晶子展 われも黄金の釘一つ打つ」を開催しています。
 
また、下記【今日は何の日・光太郎】でふれている「うつくしきものみつ」の碑が甲府の南、富士川町にあります。
 
秋の行楽シーズン、ぜひ山梨にもお出かけ下さい。
 

【今日は何の日・光太郎】 10月14日010

昭和17年(1942)の今日、山梨県南巨摩郡穂積村字上高下(かみたかおり)-現・富士川町の井上くまを訪問しました。
 
この年発足し、光太郎が詩部会長に就任した日本文学報国会の事業で、黙々とわが子を育み、戦場に送る無名の「日本の母」を顕彰する運動の一環です。
 
軍人援護会の協力の下、各道府県・植民地の樺太から一人ずつ(東京府のみ2人)「日本の母」が選考され、光太郎をはじめ、当代一流の文学者がそれぞれを訪問、そのレポートが『読売報知新聞』に連載されました。さらに翌年には『日本の母』として一冊にまとめられ、刊行されています。
 
井上くまは、女手一つで2人の息子を育て、うち1人は光太郎が訪ねた時点で既に戦病死、しかしそれを誇りとする、この当時の典型的な『日本の母』でした。
 
光太郎はまた、『読売報知新聞』のレポート以外にも、くまをモデルに詩「山道のをばさん」という詩も書いています。
 
昭和62年(1987)には、光太郎が上高下を訪れたことを記念して、光太郎が好んで揮毫した「うつくしきものみつ」という短句を刻んだ碑が建てられました。
 
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最近、ある高名な芸術家のブログで、この碑の文言を「うつくしきもの三つ」と書いていますが誤りです。光太郎は仮名書きで文字を書く際、変体仮名的に「み」を「ミ」と書くことが多く(「おてがミ」など)、これもその例です。「みつ」は「満つ」。「満ちる」の古語ですね。
 
山梨と言えば富士山。この碑のある場所から見える富士山は本当に見事です。特に冬至の前後には「ダイヤモンド富士」といって富士山の山頂部と日の出の太陽が重なる現象が見られるそうです。