そろそろ次のネタに行010こうと思っていたのですが、レモン忌ネタがもう一つ入りましたのですみません。
 
調べ物があったので、午前中、隣町・成田の市立図書館に行って参りました。
 
とりあえず調査が終了し、帰りがけ。ふと出入り口のドアを見ると貼り紙が。福島県の避難者支援事業の一環として、福島の地方紙『福島民報』さんと『福島民友』さんのバックナンバーを置き始めたとのこと。 
 
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そこで、10月6日のレモン忌の記事が載っているかと思い、館内に引き返し、ページをめくってみました。
 
すると、7日付の『福島民友』さんの方に右の記事が載っていました。
 
ネット検索では見つからなかったのですが、ちゃんと記事になっていたのですね。ありがたいことです。
 
それにしても、関東の普通の図書館で福島の新聞を置くというアイディアは素晴らしいと思いました。
 
福島からこちらの方に避難している方に向けてという配慮がメインなのでしょうが、被災地の現状をご存じない方に対しての情報発信という意味でも、意義深いことだと思いました。これも立派な復興支援ですね。
 
こうした取り組みが全国でどの程度行われているのか存じませんが、未実施の各自治体の方々、ご一考を。
 
話は変わりますが、昨日、NHK『日曜美術館』担当ディレクター氏から、同じ10月6日オンエア分のDVDが届きました。あたりまえですが、家庭で録画したものより格段に画質が良く、ありがたいかぎりでした。
 
お見逃しの方、13日の夜に再放送があります。ぜひご覧下さい。 

日曜美術館「智恵子に捧げた彫刻~詩人・高村光太郎の実像~」

2013年10月13日(日)  20時00分~20時45分 NHKEテレ

番組内容

『智恵子抄』で知られる高村光太郎。今回は、日本の近代彫刻を切り拓いた偉大な彫刻家としての人生に注目する。傑作誕生の陰には、妻・智恵子との知られざる物語があった。
まっすぐに天をさす人差し指。一瞬の動きを見事に捉えたブロンズ彫刻「手」。日本近代彫刻のれい明期を告げる作品の作者は、「智恵子抄」で知られる高村光太郎だ。明治彫刻界の巨人・高村光雲の長男として生まれ、フランス留学をきっかけに独自の彫刻を模索。そんな光太郎を支えたのが妻・智恵子の存在だった。最晩年の大作など傑作の数々を紹介しながら、生涯を智恵子の面影と共に生きた、彫刻家・高村光太郎の実像に迫る。

出演者

  • 出演 芥川賞作家…平野啓一郎 
  • 司会 井浦新 伊東敏恵
また、担当デレクター氏から、番組に寄せられた感想について教えていただきました。内部情報にあたる部分もあり、詳しくはご紹介できませんが、おおむね好意的なご意見が寄せられていました(少し手厳しいご意見もあったようですが)。ネット上のいろいろな方のブログ等でも同様です。
 
ただ、一般の方々の持つ光太郎のイメージは、やはり「『智恵子抄』の詩人」というのが第一なのだな、と改めて知りました。光太郎自身は「私は何を措いても彫刻家である。彫刻は私の血の中にある。私の彫刻がたとひ善くても悪くても、私の宿命的な彫刻家である事には変りがない。」(「自分と詩との関係」昭和十五年)と述べています。もちろん「詩人」としての光太郎も魅力的ですが、もっともっと「彫刻家」としての光太郎にもスポットが当てられるべきだと思います。
 
そういう意味では今回の「日曜美術館」、そして開催中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」、非常によい企画だと思います。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月10日

昭和9年(1934)の今日、光雲が胃癌のため歿しました。享年満82歳でした。
 
智恵子は九十九里で自らも千鳥となっていた時期です。光雲の遺産はその後の智恵子の療養費に充てられました。
 
光太郎が若い頃には留学の費用、画廊・琅玕洞の開店費用、詩集『道程』の出版費用などを全て出してくれた光雲。自らの歿後には、その遺産で智恵子の療養費をまかなってくれました。こうした経済的な部分だけでなく、本当にさまざまな面で光太郎智恵子を支え続けた一生でした。