昨日のブログで秋に関する光太郎の詩をいくつか紹介しました。昨日紹介したのは大正末から昭和戦前の作で、素直に秋を謳ったもの(部分)でした。
 
「素直」でなく秋にからめた詩も存在します。どうも秋の到来を、それから起こるであろう泥沼の戦争の予感とオーバーラップさせているようです。

   北東の風、雨
 014
 軍艦をならべたやうな
 日本列島の地図の上に、
 見たまへ、陣風線の輪がくづれて、
 たうとう秋がやつて来たのだ。
 北東の風、雨の中を、
 大の字なりに濡れてゐるのは誰だ。
 愚劣な夏の生活を
 思ひ存分洗つてくれと、
 冷冷する砲身に跨つて天を見るのは誰だ。
 右舷左舷にどどんとうつ波は、
 そろそろ荒つぽく、たのもしく、
 どうせ一しけおいでなさいと、
 そんなにきれいな口笛を吹くのは誰だ。
 事件の予望に心はくゆる。
 ウエルカム、秋。

 
昭和2年(1927)の作。
 
その前年、中国では蒋介石の国民党政府による反帝国主義を掲げる「北伐宣言」が出され、昭和2年に入ると、
日本を含む外国領事館と居留民に対する襲撃(南京事件・漢口事件)などが起こり、それに対して日本は山東出兵を行っています。さらに翌年には関東軍による張作霖爆殺、国内では主義者弾圧のための特高警察の設置など、時代は確実にきな臭い方向に進んでいました。
 
事件の予望」には、そうした背景が見て取れます。そして、「どうせ一しけおいでなさい」「ウエルカム、秋。」には、それを必然と見る姿勢が読み取れるように思われます。
 

   秋風辞
     秋風起兮白雲飛 草木黄落兮雁南帰
                   -漢武帝-
 秋風起つて白雲は飛ぶが、
 今年南に急ぐのはわが同胞の隊伍である。015
 南に待つのは砲火である。
 街上百般の生活は凡て一つにあざなはれ、
 涙はむしろ胸を洗ひ
 昨日思索の亡羊を嘆いた者、
 日日欠食の悩みに蒼ざめた者、
 巷に浮浪の夢を餘儀なくした者、
 今はただ澎湃たる熱気の列と化した。
 草木黄ばみ落ちる時
 世の隅隅に吹きこむ夜風に変りはないが、
 今年この国を訪れる秋は
 祖先も曾て見たことのない厖大な秋だ。
 遠くかなた雁門関の古生層がはじけ飛ぶ。
 むかし雁門関は西に向つて閉ぢた。
 けふ雁門関は東に向つて砕ける。
 太原を超えて汾河渉るべし黄河望むべし。
 秋風は胡沙と海と島島とを一連に吹く。
 
昭和12年(1937)の作。この年には盧溝橋事件が起こり、日中間は全面戦争状態に突入しています。
 
実は昨日部分的に紹介した「日本の秋」にも、昨日紹介しなかった部分にこうした内容が含まれています。
 
 ああいよいよ秋の厄日がそこに居る。
 来なければならないものなら、
 どんなしけでもあれでも来るがいい。
 
どうやら光太郎、台風の嵐を戦争の嵐にたとえているようです。そして台風一過の状況を、昨日紹介した部分の
 
 昔からこの島の住民は知つてゐる、
 嵐のあとに天がもたらす
 あの玉のやうに美しい秋の日和を。
 
で、戦争に勝つこととして表現しているのです。
 
ところがそう簡単に事は運ばず、日中戦争は泥沼化、さらに太平洋戦争へと突入し、昭和20年(1945)には敗戦。
 
この間、光太郎は膨大な数の戦争詩を書き殴ります。それら(「北東の風、雨」「秋風辞」も含め)は詩集『大いなる日に』(昭和17年=1942)、『をぢさんの詩』(同18年=1943)、『記録』(同19年=1944)などに収められ、国民を鼓舞する役割を果たしました。
 
敗戦後はそうした自己を反省して、花巻郊外での山小屋生活に入るのです。
 
以上、ざっくりと光太郎の「秋」を見てきましたが、すっきりしませんので、「きな臭い」内容を含まない「素直な」秋の詩をもう一つ紹介して終わります。大正3年(1914)、おそらく詩集『道程』のために書き下ろされた詩です。
 
   秋の祈
 
 秋は喨喨(りやうりやう)と空に鳴り016
 空は水色、鳥が飛び
 魂いななき
 清浄の水こころに流れ
 こころ眼をあけ
 童子となる

 多端粉雑の過去は眼の前に横はり
 血脈をわれに送る
 秋の日を浴びてわれは静かにありとある此を見る
 地中の営みをみづから祝福し
 わが一生の道程を胸せまつて思ひながめ
 奮然としていのる
 いのる言葉を知らず
 涙いでて
 光にうたれ
 木の葉の散りしくを見
 獣(けだもの)の嘻嘻として奔(はし)るを見
 飛ぶ雲と風に吹かれるを庭前の草とを見
 かくの如き因果歴歴の律を見て
 こころは強い恩愛を感じ
 又止みがたい責(せめ)を思ひ
 堪へがたく
 よろこびとさびしさとおそろしさとに跪(ひざまづ)く
 いのる言葉を知らず
 ただわれは空を仰いでいのる
 空は水色
 秋は喨喨と空に鳴る
 
【今日は何の日・光太郎】 9月28日

昭和26年(1951)の今日、光太郎が題字を揮毫した草野心平の詩集『天』が刊行されました。
 
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「素直な」心で、秋の「天」を眺めたいものです。