目黒区駒場にある日本近代文学館でのイベント情報です。
期 日 : 2013年9月28日(土)~11月23日(土)
会 場 : 日本近代文学館 東京都目黒区駒場4-3-55
時 間 : 午前9:30~午後4:30(入館は4:00まで)
休 館 : 日・月曜日、第4木曜日(10月24日)
料 金 : 一般 200円 (20名以上の団体 100円、維持会・友の会会員 無料)
監 修 : 池内輝雄
「秋の特別展 新収蔵資料展」
期 日 : 2013年9月28日(土)~11月23日(土)
会 場 : 日本近代文学館 東京都目黒区駒場4-3-55
時 間 : 午前9:30~午後4:30(入館は4:00まで)
休 館 : 日・月曜日、第4木曜日(10月24日)
料 金 : 一般 200円 (20名以上の団体 100円、維持会・友の会会員 無料)
監 修 : 池内輝雄
日本近代文学館の収蔵資料は、そのほとんどが文学者またはそのご遺族、出版社・新聞社、研究団体など多くの方々からのご寄贈によるもので、その貴重な資料を展示・公開する新収蔵資料展を定期的に開催しています。
本展覧会では、2010年以降に新しく収蔵した資料のなかから、特色のある品々をご紹介いたします。
この3年間で新たに加わった「内村鑑三研究所文庫」「紅野敏郎文庫」「齋藤磯雄文庫」の資料をはじめ、本年春に寄贈を受け話題となった太宰治の学生時代のノート・教科書類や、夏目漱石が門下生の鈴木三重吉に「吾輩は猫である」のモデルとなった猫の死を通知した「猫の死亡通知」など、貴重な資料を多数展示いたします。
鈴木三重吉宛夏目漱石「猫の死亡通知」(明治41年9月14日)
鈴木三重吉宛夏目漱石(明治41年9月14日)
「猫の死亡通知」
鈴木三重吉宛夏目漱石(明治41年9月14日)
「猫の死亡通知」
また、三島由紀夫が自死する直前の1970年11月に池袋の東武百貨店で開催された「三島由紀夫展」のために揮毫した屏風は、同展以来の公開となります。
主な出品資料
太宰治の学生時代のノートや教科書、およびそれらを保管していた信玄袋
鈴木三重吉宛夏目漱石「猫の死亡通知」
村上浪六・信彦資料より 浪六画「赤裸ニ窺天下」
中野重治原稿「『平和革命』と文化ということ」
中村真一郎日記
内村鑑三研究所文庫の蔵書
齋藤磯雄文庫より 齋藤著「ピモダン館」原稿
紅野敏郎文庫より 谷崎潤一郎「近松秋江『黒髪』序文」原稿
登張竹風・正実資料より 竹風宛泉鏡花書簡
田村松魚資料より 松魚宛高村光太郎書簡
北村孟徳資料より 孟徳宛内田百閒書簡
楠山正雄資料より 『新訳イソップ物語』初版本
香西昇旧蔵直木三十五資料より 直木「大阪落城」原稿
寺崎浩資料より 「ゴルキー通りの女」原稿
芥川賞・直木賞コレクション新規収蔵原稿
同時開催 川端康成記念室 「モダニズムと浅草」
田村松魚(しょうぎょ)は幸田露伴門下の作家。昭和4年(1929)に刊行された光雲の『光雲懐古談』主要部分の聞き書きをするなどしています。妻も作家の田村俊子、智恵子の数少ない親友の一人でした。
光太郎・智恵子夫妻もかなり独特の夫婦でしたが、輪をかけてドラマチックだったのが松魚・俊子夫妻(後に離婚)でした。
高村夫婦との交流を含め、詳細は以下の書籍等でわかります。
ところで問題の書簡は、平成17年にその存在が報じられました。その数なんと55通。翌年には笠間書院さんから『高村光太郎進出書簡 大正期 田村松魚宛』田村松魚研究会間宮厚司編が刊行され、その全貌が明らかにされました。
『高村光太郎全集』補遺作品集として当方が手がけている「光太郎遺珠」には、最初に発表された6通のみ掲載させていただきました。残りは数が多すぎるので、いまだ収録していません。いずれ、第3次の『高村光太郎全集』が出るとしたら、組み込ませていただきたいと考えています。
この55通はその後、同22年に日本近代文学館さんに寄贈されています。今回の展示ではその中から出品されるのでしょう。何通ならぶのかは不明です。
【今日は何の日・光太郎】 9月23日
大正10年(1921)の今日、光太郎が設計した府下高井戸村の可愛御堂が落成、献堂式に出席しました。
可愛御堂は光太郎とのちのちまで交友のあった青森県五戸出身の思想家・江渡狄嶺(えとてきれい)が開いた百姓愛道場内に建てられました。建立の趣旨は、その趣意書によれば、子を失った親たちのために一つの庵を建て、天上の子供らの霊が睦み遊んでいるように、地上の親兄弟姉妹もここで一つになって睦み合うようにとのことでした。元々はやはり愛児を失った江渡がその遺骨を寺に預けるに忍びず、百姓愛道場内に祀っていたことに始まるそうです。
光太郎、駒込林町のアトリエも自分で設計しましたが、建築設計にもその才を発揮していました。舌を巻くマルチさの一端が見て取れます。