8月19日のこのブログで、秋田から新たに光太郎の直筆詩稿が見つかったニュースをご紹介しました。
その後、過日、続報が出ましたのでご紹介します。
「一億の号泣」の直筆詩稿を寄託 由利本荘市教委へ
高村光太郎が終戦の翌日に書いた詩「一億の号泣」の直筆詩稿を所有する由利本荘市矢島町の佐藤和子さん(70)と親類が10日、「多くの市民や光太郎ファンに見てもらいたい」と市教育委員会に詩稿を寄託した=写真。市教委は今後、詩稿の複製を公開する考え。
詩稿は、光太郎が戦時中に疎開した岩手県花巻市で親交を深めた故佐藤昌(あきら)さんに渡したもの。矢島町立農業補習学校農業専修科(現矢島高)の初代校長を務めた昌さんは、終戦後、文通相手だった教え子の佐藤勘左エ門さん=矢島町、1988年に78歳で死去=に詩稿を譲り渡した。
詩稿は一時紛失したが、2年半前に矢島町内で見つかり、勘左エ門さんの次男の妻である和子さんが所有、勘左エ門さんの五男重さん(64)と弟の東海林良介さん(86)が保管していた。
詩稿は、光太郎が戦時中に疎開した岩手県花巻市で親交を深めた故佐藤昌(あきら)さんに渡したもの。矢島町立農業補習学校農業専修科(現矢島高)の初代校長を務めた昌さんは、終戦後、文通相手だった教え子の佐藤勘左エ門さん=矢島町、1988年に78歳で死去=に詩稿を譲り渡した。
詩稿は一時紛失したが、2年半前に矢島町内で見つかり、勘左エ門さんの次男の妻である和子さんが所有、勘左エ門さんの五男重さん(64)と弟の東海林良介さん(86)が保管していた。
(『秋田魁新報』 2013/09/11)
「一億の号泣」は光太郎の詩としては有名な方ですし、太平洋戦争の終戦という、光太郎にとっても日本にとっても一大転機となったできごとを題材にしているということで、重要な作品です。
したがって、売りに出せばかなりの値段がつくものなのですが、持ち主の方は市に寄贈されたとのこと。すばらしい。
今後は死蔵されることなく、活用されてほしいものです。
東北にはこういうケースで寄贈され、常時見ることのできる光太郎資料が意外と多くあります。
盛岡市の盛岡てがみ館さん。やはり光太郎の詩稿「岩手山の肩」が常に展示されていますし、他にも光太郎書簡を多数所蔵しています。来春の企画展では光太郎書簡も展示されるようです。
東北新幹線のいわて沼宮内駅内にある郷土資料館には、光太郎直筆の村立図書館・村立公民館の看板が展示されているとのこと。当方はこれは見たことがないのですが、いずれあちらに行く時に足をのばしてみようと思っています。
11/12追記 現在はいわて沼宮内駅内の郷土資料館は閉鎖、この看板は元々あった岩手町川口公民館に戻っているとのことです。
もちろん、花巻の高村光太郎記念館や二本松の智恵子記念館。
ただ、気をつけなければいけないのは、「光太郎直筆の○○」と大々的に宣伝していながら、どうも怪しいものもあることです。営利目的や功名心でやっているわけではなく、「善意」で公開しているのでしょうが、それだけに困ったことでもあります……。
【今日は何の日・光太郎】 9月22日
昭和60年(1985)の今日、NHKFMで、原嘉壽子作曲・まえだ純台本による「歌劇 智恵子抄 高村光太郎による 四幕」がオンエアされました。
昭和62年(1987)には楽譜(ヴォーカル・スコア)が全音楽譜出版社さんから刊行されています。