演劇公演の情報です。 

チエコ

期 日 : 2013/10/02(水) ~ 10/07(月)  10/09(水)~ 10/14(月)
会 場 : 両国・エアースタジオ   東京都墨田区両国2丁目18-7 ハイツ両国駅前 地下1階
時 間 : 10/02(水) ~   10/09(水)~
料 金 : 3,000円
 
出演
五十里直子、清水知世、西田啓佑、平岡美保、古川原香織、音崎結映、小森毅典、畑野菜々、入江悠、木村ゆめこ、SHUN、芹沢結海子、日高翔太、吉野家菊之介
脚本・演出 野口麻衣子
主催 劇団空感エンジン
 
高村光太郎のアトリエ。高村光太郎と姪の春子が暮らしている。草野心平・中原綾子がアトリエを訪ねてくる。光太郎の亡くなった妻・智恵子への詩集『智恵子抄』を作る相談に乗ってもらう為に二人を呼んだのだ。智恵子との思い出を話しながら過去へと回想する。
 
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出演者の方々のブログ等


「中原綾子」は第二期『明星』に依った歌人・詩人017。そうした関係で光太郎と知遇を得、のちに自ら主宰した雑誌『いづかし』や『スバル』、自身の詩集『悪魔の貞操』に、光太郎の寄稿を受けています。
 
それより有名なのは、昭和31年(1956)6月に発行された『婦人公論』の光太郎追悼特集の中で、昭和9年(1934)から翌年にかけての光太郎書簡を発表したことです。智恵子の統合失調症が昂じて九十九里から連れ帰り、ゼームス坂病院に入院させた頃のもので、当時の智恵子の様子が克明に記されています。
 
ここまで詳しい智恵子の病状の描写が他に見つかっていないため、この書簡群は現在でも研究者の間ではよく利用されています。
 
ところで、光太郎と綾子の間を怪しむ説もあります。智恵子の病状を記した書簡が他の誰にも送られていない(であろう)こと、他にもいろいろと光太郎が便宜を図ってあげていること、この時期に綾子が離婚していること、綾子が流行の言い方をすれば「美人過ぎる」歌人だったこと(右下の画像参照)などがその理由です。
 
さらに書簡にある「あなたの御親切を実にありかたく思ひます。あなたの同情は私に絶大の力を添へてくれます」「あなたの慰めがどんなに私の力になつてゐるか知れません」といった部分が深読みされてもいるようです。
 
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やはり演劇で、野田秀樹作・大竹しのぶ主演の「売り言葉」(平成14年=2002)には、智恵子のこんな台詞があります。
 
その間、光太郎は、女流詩人と文通を始めたのであります。智恵子の全く見知らぬ女性に、智恵子の悲しい姿を書き送ったのであります。東京市民よ! しかも、光太郎に同情したその女流詩人から送られた見舞いの林檎を智恵子は食べさせられたのであります。
 
林檎うんぬんは、先の『婦人公論』に載った光太郎書簡に記述があります。
 
しかし、だからといって光太郎と綾子の間を怪しむのはどうでしょうか。あまりに材料が少なすぎますので。
 
まあ、創作作品やエッセイなら許されることだと思います。しかし、「論文」としてそう書いてしまっては駄目ですね。
 
もっとも、エラいセンセイ方の「論文」も、実に噴飯ものの内容だったりすることが多く、いかにも「研究実績」として「論文」を書かなければいけないから苦し紛れに書いているんだろうな、というものが多いのが現状ですが。
 
話がどんどんそれましたが、劇団空間エンジンさんの「チエコ」、公演期間が長いので都合がつきまして、観に行くことに致しました。また観終わったらレポートいたします。
 
【今日は何の日・光太郎】 9月21日

昭和8年(1933)の今日、宮澤賢治が歿しました。
 
光太郎は賢治の原稿等が散逸するのをおそれ、金を工面して草野心平を花巻に派遣しました。結局、賢治の弟の清六がきちんと管理をしてくれていて、取り越し苦労でしたが、宮澤家ではこの配慮に感激したそうです。
 
光太郎と賢治についてはいずれまた書くことがあるでしょう。