ネット検索で見つけました。三重県は志摩地域からのイベント情報です。
大人のための朗読ライヴ 第7回 花笑み朗読会
日 時 : 2013年10月6日(日) 午後1:30~3:30ころ
会 場 : コミュニティースペース花笑み (志摩市磯部町上之郷市営プールとなり)
会 場 : コミュニティースペース花笑み (志摩市磯部町上之郷市営プールとなり)
入場無料
プログラム
『マラソン』堀ななえ 作/朗読 堀八重子
『子そだてゆうれい』民話/朗読 岡野恭子
『きまもり』杉みき子 作/朗読 岡野秋子
『芋ころりん』福島県 昔話/ストーリーテリング 森本時子
『注文の多い料理店』宮沢賢治 作/朗読 森下雅子
『チーン、ブツブツ』佐野洋子 作/朗読 江坂淳子
『智恵子抄』高村光太郎 作/朗読 牧野範子
以前、朗読家の荒井真澄さんをご紹介した時にも書きましたが、光太郎の詩は意外と朗読向きです。
例えば「樹下の二人」のリフレイン「あれが阿多多羅山/あの光るのが阿武隈川」という短いフレーズも、「あれがあたたらやま/あのひかるのがあぶくまがわ」という「あ」そのものや母音の「A」の多用、光太郎ははっきり意識しているはずです。
「レモン哀歌」にしても「そんなにも/あなたはレモンをまっていた」と、日本古来の五音・七音(前後)での構成になる箇所も多く見受けられます。
朗読は静かなブームだそうで、全国の愛好家の方、どんどん光太郎作品を取り上げて下さい!
【今日は何の日・光太郎】 9月20日
明治34年(1901)の今日、東京美術学校での京都・奈良方面への修学旅行に出発しました。
この修学旅行で、特に奈良で白鳳・天平といった頃の仏像をたくさん見たことが、光太郎にとっての一つの転機となります。仏師の息子として生まれた光太郎ですから、仏像自体は子供の頃から見飽きるほど見ていたはずですが、江戸の様式化された仏像にはない迫力に打たれたのです。曰く、
本物とは似ても似つかない形のものが、素晴らしい迫真力をもつて迫つてきた。それで、学校で自分達がやつた柔弱な人形みたいなものは、実にくだらなく感じられてきた。そして奈良の仏像の、――本物とはまるで離れたようないろいろな恰好をした仏像が、何故そんなに強く人を感動させるのかということについて深く考えさせられた。なんだか彫刻というのは、いままでやつていたものと違うと言うことを感じた。あの修学旅行が、わたしたちを啓発したことは大変なものであつた。
(「わたしの青銅時代」 昭和29年=1954)
ここでいう「本物」とは「人間の肉体」という意味です。
「わたしたち」とありますが、他の生徒も同じだったようです。特にこの後、目をみはるほど進歩したのは、かつて美学の授業で空気を読めない素っ頓狂な質問をして講師の森鷗外を怒らせたりし、同級生からは一番出来が悪いと馬鹿にされていた生徒だったとのこと。
この後、光太郎は留学を経験し、ロダンを初めとする西洋近代彫刻にも打ちのめされることになりますが、単に打ちのめされただけでなく、修学旅行で学んだ日本古来の彫刻の要素と、西洋近代彫刻の要素を見事に融合させ、独自の境地を開いてゆくのです。
ちなみに「修学旅行」というと、現代では2泊3日とか3泊4日とかのイメージですが、この時の修学旅行はなんと2週間にも及んだそうです。