昨日、岡山県は井原市立田中美術館での「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」開会式に行って参りました。
 
6月から8月20日にかけての千葉展に続いての巡回開催です。田中美術館は光雲の高弟だった平櫛田中(ひらくしでんちゅう)の個人美術館として昭和44年に開館したものです。井原市は田中の故郷です。
 
午前10時から隣接する井原市民会館で開会式、市長や議員さんの挨拶の後、美術館に移動してテープカットが行われました。
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井原市のゆるキャラ、「でんちゅうくん」も駆けつけました。平櫛田中作の彩色木彫「鏡獅子」をモチーフにしています。

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その後は展覧会を観ました。
 
出品されているのは千葉展とほぼ同一ですが、いろいろ違いもあります。
 
まず木彫「鯰」。千葉では1点だけでしたが、こちらでは2点並んでいます。
 
それから千葉では2点のみ展示されていた木彫を包む袱紗(ふくさ)。光太郎が自作の短歌をしるしているものですが、こちらでは「蓮根」や「鯰」のものなど、多数出品されています。
 
また、田中美術館がもともと所蔵していた光太郎から田中にあてた書簡も3通並んでいます。このうち1通、留学先のパリから送られたものは未発表のもの。来春刊行の雑誌『高村光太郎研究』中の「光太郎遺珠」にて詳細を公表します。
 
そして田中の作品の数々も観られます。光雲の系譜を引きつつも独自の世界に達した見事なものです。
 
逆にスペースの関係で智恵子の紙絵は千葉より少ない展示ですが、それでも43点並んでいます。
 
千葉展の際にも書きましたが、光太郎智恵子に関し、これだけの規模の展覧会はめったにありません。特に西日本では久しぶりの開催です。ぜひ多くの方に観ていただきたいものです。
 

【今日は何の日・光太郎】 8月31日007

昭和35年(1960)の今日、龍星閣から『光太郎智恵子』が刊行されました。
 
光太郎智恵子の詩文、書簡のうち、お互いに関するものをピックアップして一冊にまとめたものです。
 
昭和43年(1968)には増補版も刊行されています。
 
一昨日の火災で全焼した福島の不動湯温泉から、光太郎智恵子連名で、智恵子の母・センに送った葉書も収録されています。日付は昭和8年(1933)9月2日。この葉書は現在、二本松の智恵子記念館に展示されています。
 
青根から土湯へまゐりました。土湯で一番静かな涼しい家に居ます。もう二三日ここにゐるつもりでゐます 九月二日
 
不動湯さんは本当に残念でした。
 
当方のコメントがNHK福島さんで流れ、ネットにも載りました。
光太郎智恵子が泊まった部屋や自筆の宿帳が焼けたのは残念ですが、それ以上に亡くなった方がいらっしゃるというのに心が痛みます。