「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」。千葉市美術館での千葉展は好評のうちに幕を閉じ、明日から岡山県井原市の田中美術館(でんちゅうびじゅつかん)さんに会場を移して開催されます。
 
 
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井原市制施行60周年記念 田中美術館秋季特別展 「生誕130年 彫刻家・高村光太郎展」

会期 平成25(2013)年8月30日(金)~10月20日(日)  8月30日は開会式のため、10時30分より開館
 
開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
 
休館日 月曜日
 ただし、9月16日、9月23日、10月14日は開館、9月17日、9月24日、10月15日は休館
 ※8月24日(土)~8月29日(木)は、展示替えのため休館
 
主催 井原市立田中美術館
 
共催 NHKプラネット中国、山陽新聞社
 
企画協力 NHKプラネット中部
 
入館料 •一般:700円(560円)•65歳以上:350円(280円) •高校生以下 無料 ※( )内は有料団体20名以上の料金
            
(問)井原市立田中美術館(℡0866-62-8787)         
〒715-8601 岡山県井原市井原町315 井原市立田中美術館
         
記念講演会
日 時:平成25年9月29日(日) 13時30分~15時         
講 師:土生 和彦 氏 (碧南市藤井達吉現代美術館 学芸員)         
会 場:井原市民会館 鏡獅子の間         
演 題:木彫家・高村光太郎         
入場料:無料         

概要
髙村光太郎(1883-1956)は江戸末期から明治期に活躍した木彫家・高村光雲(1852-1934)の長男として東京・下谷に生まれ、幼い頃より後継者としての修練を与えられました。父から江戸時代そのままの指導方法によって木彫の基礎を学んだ光太郎は東京美術学校で木彫の他に塑造を学び、卒業後アメリカそしてフランスに留学します。
帰国後の光太郎の活動は、彫刻よりも文筆活動によって広く知られるようになります。日本最初のポスト印象派宣言とも、あるいはフォーヴィズムの先駆とも評される「緑色の太陽」(1910)に代表される評論、『道程』(1914)、『智恵子抄』(1941)などの詩業、そして『ロダンの言葉』(1916)といった翻訳は、芸術家である彼の存在を印象付けました。
その一方で光太郎は、彫刻の制作とその発表については慎重であり続けました。残念なことに1945年の空襲によって彼のアトリエは被災し、多くの彫刻作品が失われ、彫刻家としてのあゆみは全体像が見えにくいものとなってしまいました。そして、疎開による環境の変化は、彫刻を制作する機会の妨げとなりました。
最晩年、光太郎は自ら「私は今でも自分を彫刻家だと思つているし、私の彫刻の仕事をかえり見て、それが詩の仕事に及ばないとは思わない。また、明治以來の日本の彫刻の中で自分の彫刻がどういう役割を果たしているかも知つている。そしてまだ相當の可能性を保持していることも信じている」(「自傳」)と記しました。彫刻家の歿後、戦災を免れた作品によって直ちに遺作展が開催され、今日に至るまで数多くの展覧会で彼の彫刻は近代日本を代表する作品として取り上げられています。
生誕130年の節目を迎えて開催される今回の展覧会では、光太郎の原点ともいえる木彫作品をはじめ、彼が参照したロダン(1840-1917)や同時代の佐藤朝山(1888-1963)、中原悌二郎(1888-1921)などによる作品と妻・智恵子(1886-1938)が制作した紙絵をあわせて展示します。本展が光太郎の彫刻作品を見直す契機となると共に、今日活発化している近代日本彫刻をめぐる研究への一助なとなることを願います。

出品作品
•高村光太郎作品(彫刻)48点、(スケッチブック)2冊、(クロッキー帳)1冊 
•高村智恵子作品(紙絵)43点
•光太郎周辺の彫刻家たち:ロダン3点、ブールデル1点、マイヨール1点、
 高村光雲1点、荻原守衛2点、毛利教武1点、佐藤朝山7点、中原悌二郎2点
•その他:土門拳撮影光太郎彫刻写真1点、デスハンド1点、
 高村光雲愛用で光太郎が受け継いだ彫刻刀1揃 
 
特に西日本在住の皆様、ぜひ足をお運び下さい。
 
当方、今夜から夜行高速バス、新幹線を乗り継いで岡山入りし、明日の開会式に行って参ります。
 
【今日は何の日・光太郎】 8月29日

昭和62年(1987)の今日、愛媛松山いよてつそごうで開催されていた「高村光太郎と智恵子の世界」展の関連行事として、愛媛松山子規記念館を会場に、北川太一先生が記念講演をされました。
 
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