8月9日、女川光太郎祭が始まる前に、女川と隣接する石巻の街を歩いてみました。
 
昭和6年(1931)、光太郎が『時事新報』に寄せた紀行文「三陸廻り」は石巻から始まっています。下記はその際の光太郎自筆の挿画です。
 
イメージ 1
 
市街地の南、北上川河口の脇に立つ日和山から見た風景です。
 
さらにこちらは戦前の絵葉書。
 
イメージ 2
 
そして8/9に撮影した画像です。
 
イメージ 8

光太郎が82年前にここから同じように風景を見たんだなと思うと感慨深いものがありました。
 
「三陸廻り」の中では、日和山から見た石巻の街をこう記します。
 
 日和山から見下した石巻と湊町と仲の瀬とはぎつしりつまつてまるで空地のない建てこみ方だ。家と倉庫と鰹節工場と造船所と魚市場と檣柱と旗と煙突と、魚類の吐く息と鋼鉄の鳴る音と。坂路に立つて俯瞰図をスケツチしてゐると洋服姿のインテリ百姓らしい若者が通る。
 
上の三枚の画像ともに右手にある島が「仲の瀬」通常は「中瀬」と表記。現在は石ノ森萬画館が建っています。
 
さらに光太郎、日和山にある鹿島御児(かしまみこ)神社に詣でたことを記しています。そこにも行ってみました。
 
 
イメージ 7
 
震災で被害を受け、本殿を解体するそうです。義援金として賽銭を入れてきました。
 
イメージ 9
 
その後、山を下りて石ノ森萬画館へ。昨年はまだ閉鎖中でしたが、今年は再開し、家族連れなどでにぎわっていました。「サイボーグ009」の企画展をやっており、懐かしく拝見しました。
 
 
上が昨年、下が今年の写真です。
 
イメージ 3

イメージ 10
 
 
中瀬に架かる橋も、昨年はまだひどい状態でしたが、今年はきれいになっていました。
 
イメージ 4

 
イメージ 11
 
着実に復興は進んでいます。
 
しかし、街を歩くと、まだまだこんな建物も残っています。
 
 
イメージ 12

日和山から見た中瀬とは逆側の光景。
 
イメージ 5
 
元は民家や事業所が立ち並んでいたはずですが、ほとんど更地と化しています。
 
女川同様、石巻もまだまだ復興途上です。具体的な支援もなかなか難しいと思いますが、せめてそういう現状であるということは、頭に留めておいてほしいものです。
 
イメージ 6
千葉蒼玄氏書・復興支援絵葉書
 
【今日は何の日・光太郎】 8月12日

昭和26年(1951)の今日、光雲の師匠・高村東雲の孫に当たる高村晴雲が花巻郊外太田村山口の山小屋を訪れ、旧交を温めました。
 
おそらくこの時に贈られたとみられる晴雲作(?)の観音像が花巻の記念館に保管されています。