昨日ご紹介した森まゆみさん著『『青鞜』の冒険 女が集まって雑誌をつくるということ』に関し、『読売新聞』さんに記事が出ています。
森まゆみさん 編集の視点で「青鞜」考察
明治の末、女性解放運動家の平塚らいてう(1886~1971年)らが創刊した雑誌「 青鞜 (せいとう ) 」をテーマにした『「青鞜」の冒険』(平凡社)を、作家の森まゆみさん(59)が出版した。
地域誌の編集人を務めた経験を踏まえ、雑誌編集の視点から同誌を見つめ直した。
「長年の宿題を果たした感じです」
東京・千駄木で1911年、産声をあげた「青鞜」に著者は親近感を抱いてきた。同じ地域で84年、女性の仲間2人と地域誌「谷中・根津・千駄木」を創刊し、25年間続けたからだ。
「女性の文芸振興や地位向上と、地域の魅力の掘り起こしと、それぞれの雑誌の内容は違います。でも女の人が集まることの面白さ、難しさなど、似ていると思うことがありました」
本作は、<元始、女性は太陽であった>と高らかに唱えた「青鞜」の思想面より、経営面や誌面の出来栄えを探った点が興味深い。創刊号は、1冊25銭で1000部。地元のそば屋の広告や、読者が重なりそうな雑誌と互いに交換広告を掲載する努力もしていた。
「『青鞜』の人々も、初期は苦労して広告を集めた。私たちと同じく地域に支えられていました。あの時点で女だけで雑誌を作ったのは冒険です。今のレベルから見れば習作のような掲載作にも、当時の女の悩みや暮らしが表れている」
一方で、同誌が創刊1年で出版や販売の業務を外部の会社に任せた点には厳しい。「雑誌は原稿を書き、集めるだけでなく、広告取りや購読料の授受、発送、配達こそ大切です。雑誌なんて自分が売る気にならないと売れないんだから……」
「谷中・根津・千駄木」は2009年に94号で終刊した。「雑誌の中で、色々な新しい提案ができた。“小所低所”に徹して身の回りを変える。大きなデモや声高に意見を上げるより、小さな地域を変えれば、全体がしっかりしてくると思う」
100万人に5人しか発症しないとされる自己免疫疾患「原田病」に07年にかかり、目を患った。だが、東日本大震災後は被災地を訪ねて現地の声を聞き、『震災日録――記憶を記録する』(岩波書店)も出版した。「震災で言葉を失ったなどと男は言うけれど、女はその翌日だって米をとがなくてはならない。震災後も考えていることは変わりません。被災地との地域間交流を大切にしてゆきたい」
朗らかな笑い声が、人をひきつける。
記事の中で、平成19年(2007)に難病にかかられた由、記述がありました。地域雑誌『谷根千』休刊の陰にはこうした事情もあったのですね。
『谷根千』では、平成2年(1990)刊行の第25号に、今回のご著書の原型とも言うべき特集記事「平塚らいてうと「青鞜」-千駄木山で生まれた女の雑誌」が掲載されています。
版元の「谷根千工房」さんももはや存在しませんが、古書サイト等で見かけることがあります。併せてお買い求めを。
今回のご著書にしても、上記の『谷根千』にしても、智恵子の描いた『青鞜』の表紙絵を用いた装丁。つくづくこの表紙はすばらしいと思います。
【今日は何の日・光太郎】 8月2日
昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山口小学校で開催された稗貫郡PTA講演会で講演をしました。