宮城県牡鹿郡女川町。一昨年の東日本大震災で、甚大な被害を受けた町です。今でも時折、復興関連の報道などで取り上げられています。
ここ女川町で、震災前から毎年8月9日に、「女川光太郎祭」というイベントが開かれ続けています。昭和6年(1931)8月、『時事新報』の依頼で紀行文を書くことになった光太郎は、この地を含む三陸一帯を一ヶ月ほど旅して歩きました。それを記念して、光太郎の精神を受け継ぐといった意味合いです。
一昨年の震災の日、、中心になって活動されていた貝(佐々木)廣氏は、津波に呑まれて亡くなりました。町自体も、港に近い繁華街は壊滅、今もみなさん仮設住宅にお住まいです。しかし、途絶えることなく光太郎祭が続けられています。当方、昨年の第21回光太郎祭に参加いたしましたが、本当に頭の下がる思いです。
今年も8月9日、第22回女川光太郎祭が開催されます。
震災前は一貫して、光太郎文学碑の建つ海岸公園で行われていましたが、震災のあった一昨年は女川第一小学校、昨年は仮設住宅内の坂本龍一マルシェと、会場が移りました。今年は元の繁華街から西へ少し行った高台にあるきぼうの鐘商店街内に新しくできた集会所が会場になるそうです。
今年から、当方、講演の講師を頼まれました。おそらく永続的にやっていくことになると思います。
それ以外にも、恒例になっている、高村光太郎記念海会務局長・北川太一先生のご講演も予定されています。北川先生、ご高齢のため、いったんは退かれたのですが、やはり亡くなった貝氏の御魂に応えるためにも、とお考えなのでしょう。お体の許す限りは、女川に行かれるおつもりのようです。
詳細な日程はまだですが、午後2時から当方の講演「高村光太郎、その生の軌跡 -連作詩「暗愚小伝」をめぐって ①」、午後3時から北川先生によるご講演「(観自在こそ)―光太郎の底を貫く東方の信仰―」です。今月初めに千葉市美術館で開催された「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」関連行事での記念講演会同様、当方が助手(聞き手)を務めます。手前味噌ですが、意外と千葉での講演が好評だったので、同じ形でやります。
その他に(というと失礼ですが)、地元の皆様による光太郎詩の朗読、ご常連のギタリスト・宮川菊佳氏、オペラ歌手・本宮寛子さんによるアトラクションなども計画されています。
一年ぶりの女川。昨年は更地と化した元の繁華街に横たわるビルに驚きましたが、一年間でどれだけ復興が進んでいるのか、この目で見てきます。都合のつく方は、ぜひ足をお運び下さい。
【今日は何の日・光太郎】 7月27日
昭和30年(1955)の今日、夕食に銀座竹葉亭のウナギの蒲焼きを4串食べました。
この日の午後、北川太一先生が持参されたものです。この店も、先日ご紹介した中華料理「好々」同様、現存します。