昨日、朝一番で花巻に向かい、継続中だった調査を完了させ、大沢温泉さんに一泊、今朝、福島に向かいました。福島市公会堂で開催の、「宇宙飛行士山崎直子氏講演会 ~将来への夢と希望の実現に向けて~」のためです。
 
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000昨日のブログにも書きましたが、山崎さんがかつて光太郎の詩「道程」に支えられたという縁で、「道程」など光太郎の詩に曲を付けて歌われているシャンソン歌手(なぜか今日は『シンガーソングライター』と紹介されていました)のモンデンモモさんがオープニングセレモニーにご出演。共にオリジナル曲の「道程」と「花見山」を歌われました。
 
「花見山」は福島市にある公園の名前です。当方、実際に行ったことはありませんが旅番組で取り上げられているのを見たことがあります。約5ヘクタールの小高い山に、桜をはじめ様々な花が植えられていて、福島を代表する花の名所だそうです。驚くのは、そこが個人の土地であり、所有者の方が善意で一般に無料開放なさっているということ。すばらしいことですね。
 
で、モモさん、その花見山を訪れての感動を曲にしたというわけです。
 
その後、山崎さんのご講演。スクリーンに宇宙での貴重な画像を映しつつお話をなさり、非常にわかりやすい内容でした。地元の小中学生が学校単位で多数聴きに来ていたので、その子供たちにもわかりやすいように、というご配慮が随所に感じられました。おかげで理数系オンチの当方も興味深く聴くことが出来ました。
 
光太郎のお話も出ました。中学2,3年生の時の担任の先生が「道程」を黒板に書いて、熱く語られたこと。その時はあまり心に響くものはなかったそうですが、後に実際に宇宙に行かれるまでの苦しい訓練の時期(実に10年以上)などに、この詩が支えになったことなど。
 
山崎さん以外にも、この詩に多かれ少なかれ影響を受けたという人は多いのではないでしょうか。およそ100年前(正確には99年前。したがって来年は「道程」100周年です)に書かれた詩が、今も多くの人を支えているということに、あらためて光太郎のすごさを感じます。
 
終了後、緞帳をおろしたステージでの記念撮影。中央が山崎さん。後列にはモモさんとピアノの砂原さんもいらっしゃいます。

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その後、山崎さんと、連翹忌のことなどお話しさせていただきました。お渡しした名刺にこのブログのURLも書いてありますので、ご覧いただけるのではないかと期待しております。
 
ところで、今日は福島ではいろいろな動きがありました。やけに警察車両が目立つな、と思っていたら、天皇皇后両陛下が来県、飯舘村の居住制限区域を視察なさって、今夜は飯坂温泉に泊まられるそうです。それからいわき市ではプロ野球のオールスターゲーム第3戦が開催されています。
 
東北は、まだまだ復興途上です。ぜひこの夏休みには足を運んでいただき、復興支援をお願いしたいと思います。
 
【今日は何の日・光太郎】 7月22日

昭和27年(1952)の今日、山形・米沢に建てられた詩人・森英介の墓標の文字を揮毫しました。
 
森英介(大6=1917~昭26=1951)は米沢出身の詩人。生前に(正確にはぎりぎり間に合わずなくなりましたが)刊行された唯一の詩集『火の聖女』には、光太郎が序文を寄せています。この詩集は活字工として働いていた森が自ら紙型を組み、印刷まで完了しましたが、その刊行を見ることなく、森はその直後に胃穿孔で急逝してしまいました。
 
翌年に建てられることになった墓標の文字を依頼された光太郎は、哀惜の意を込めて正面に刻まれた「森英介之墓」、向かって左側面の「智応院正行日重居士」(戒名)を揮毫しました。
 
当方、10年ほど前に開通間もない山形新幹線に乗ってこの墓標を見に行きました。市内相生町の善立寺というお寺にひっそりと佇んでいました。今もそのまま残っているのではないかと思います。おそらく地元の方もほとんど光太郎の文字がここにあるというのはご存じないのではないでしょうか。

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