朝と夕方、愛犬(柴犬系雑種・9歳)の散歩をしています。やけに暑い日は涼を求め、雨の日は多少なりとも雨を避けるため、裏山を歩くことがあります。戦国時代には山城があったという小山で、舗装されていない山道があり、ちょっとした森林浴気分が味わえます。
 
裏山の一角にヤマユリが群生している場所が二カ所ほどあり、このところ満開です。香りも強烈です。
 
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さて、例によって……
 
【今日は何の日・光太郎】 7月19日

昭和16年(1941)の今日、詩「百合がにほふ」を書きました。
 
   百合がにほふ
   
どうでもよい事と
どうでもよくない事とある。002
あらぬ事にうろたへたり、
さし置きがたい事にうかつであつたり、
さういふ不明はよさう。
千載の見とほしによる事と
今が今のつとめとがある。
それとこれとのけぢめもつかず、
結局議論に終るのはよさう。
庭前の百合の花がにほつてくる。
私はその小さい芽からの成長を知つてゐる。
いかに営営たる毎日であつたかを知つてゐる。003
私は最低に生きよう。
そして最高をこひねがはう。
最高とはこの天然の格律に循つて、
千載の悠久の意味と、
今日の非常の意味とに目ざめた上、
われら民族のどうでもよくない一大事に
数ならぬ醜(しこ)のこの身をささげる事だ。
 
この年12月には太平洋戦争が勃発します。すでに中国との戦争は泥沼化しつつある時期。そういう時期であることをうかがわせる内容ですね。
 
さて、この詩は翌年4月に刊行された詩集『大いなる日に』に収録されており、また、草稿も残されているのでこういう詩だというのはわかっています。しかし初出掲載誌が不詳です。残された草稿の欄外には<「皇楯」へ>というメモが書かれています。『皇楯(みたて)』は軍人会館図書部刊行の雑誌。国会図書館には所蔵がなく、日本近代文学館や石川武美記念図書館(旧:お茶の水図書館)などに少部数の所蔵があり、調べてみましたがこの詩が載った号はありませんでした。おそらく昭和16年(1941)夏に刊行された号に載ったと思われます。
 
というわけで、この「百合がにほふ」の載った『皇楯』の情報を求めています。ご存じの方はご教示下さい。

追記 昭和16年(1941)9月1日発行の『皇楯』第2巻第9号に掲載を確認し、現物を入手しました。