昨日、神田の東京古書会館で開催中の明治古典会七夕古書大入札会の一般下見展観に行って参りました。
 
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古代から現代までの希少価値の高い古書籍(肉筆ものも含みます)ばかり数千点が出品され、一般人は明治古典会に所属する古書店に入札を委託するというシステムです。毎年、いろいろな分野のものすごいものが出品され、話題を呼んでいます。
 
昨日と今日が一般下見展観。実際に出品物を手に取ってみることができるのです。出品物の内容は目録に写真入りで掲載されているのですが、やはり手に取れるというところが魅力なので、行ってきました。
 
実は初めてでした。昨年は何だか忙しかったようで行きませんでしたし、その前までは平日に行くということは不可能でした。
 
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入り口のクロークでカバンを預け(出品物の盗難防止のため)、エレベータで文学関連の並んでいる4階へ。会場内は撮影禁止ですのでお見せできませんが、目録に載っている出品物が所狭しと並んでいました。
 
光太郎関連は、詩集『道程』初版や、草稿、識語署名入り献呈本、書簡などでした。そういったものは当方も持っているのですが、それでもやはり数十年前に光太郎が実際に手にしたものだと思うと、感慨ひとしおでした。また、毛筆の文字などは、写真ではよくわからない筆勢などが感じられ、やはり本物は違う、と思いました。
 
ちなみに文学関係の全ての出品物のうち、入札開始価格が最も高いのは石川啄木の書簡三通となぜか旧制盛岡中学の入学席次表のセット。600万円です。次いで中原中也から小林秀雄宛の書簡1通・400万円、夏目漱石の草稿11枚・280万円、正岡子規の書簡・250万円と続きます。ただし、入札開始価格なので、実際にはどうなるかわかりません。
 
また、今年は入札開始価格を設定せず、「ナリユキ」と記されているものがかなりありました。光太郎の署名本もそうなっています。これらは価値の判断が難しい、ということなのかなと思われます。
 
光太郎関連以外で個人的に最も興味深かったのは、価格としてはそれほどではないもの(といっても25万円)ですが、木村荘太の書簡でした。
 
木村荘太は光太郎と親しかった画家の木村荘八の兄で、明治末には智恵子と知り合う前の光太郎と、吉原の娼妓・若太夫を巡って恋敵となりました。その後、平塚らいてうから『青鞜』の編集を引き継いだ伊藤野枝(辻潤の妻、しかしアナーキスト・大杉栄と不倫恋愛中)に横恋慕(複雑な人間関係です)、そのあたりを戦後になって『魔の宴』という自伝小説に書いています。
 
木村の書簡は2通セットで、1通が伊藤野枝宛(恋文)、もう一通は大杉栄宛でした。「なんでこんなものが残っているんだ?」という感覚でした。ご存知の方はご存知の通り、大杉と野枝は大正12年(1923)、関東大震災のドサクサで、憲兵大尉・甘粕正彦に殺害されています。
 
ちなみに甘粕の妻・ミネは智恵子と同郷。それだけでなくミネの叔母・服部マスは智恵子の恩師です。甘粕自身も東京美術学校西洋画科で光太郎の同級生だった藤田嗣治と親しかったりと、なんとも複雑な人間模様というか人間曼荼羅というか……。ついでに言うなら木村荘太は『魔の宴』刊行直後に成田山公園で縊死。その前から成田郊外の遠山村に住んでいたのですが、なんと近くには光太郎の親友だった作家の水野葉舟も移り住んでいました。あちこちでつながります。
 
さて、明治古典会七夕古書大入札会の一般下見展観。会場内には明治大正昭和の名だたる文豪にまつわるお宝が所狭しと並んでいました。それらの文豪達の相関図的なものを描いてみると、とんでもないことになるのでは、などと思いました。改めて明治大正昭和という時代の凄さを感じました。
 
さて、明日は千葉市立美術館で企画展「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の関連行事として、講演です。遠方からお越し下さる方もいらっしゃり、ありがたい限りです。お気を付けてお越し下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 7月6日

昭和28年の今日、杉並の浴風園病院で診察を受け、正式に結核と診断されました。