先ほど、2泊3日の行程を終え、花巻から帰って参りました。
昨日は、旧太田村の高村山荘近くにある旧高村記念館にこもり、まる1日、寄贈された図書等の分類整理を行いました。
旧記念館の看板 草野心平筆です。
山荘近くにお住まいの方の蔵書だったもので、その方が脳溢血で倒れ、蔵書が花巻の記念会に寄贈されたのですが、かなり膨大な量で、リストもなく、入手経路等もほとんど不明のものです。
先月、新たな記念館のオープンの際に行ったときにも少しその作業をやったのですが、今回は完全に分類整理し、リストを作成するつもりで行きました。
調べてみると、かなり貴重なものも含まれていました。
まず光太郎から島崎藤村の三男、蓊助(おうすけ)にあてた葉書が4通。既に『高村光太郎全集』に収録されているものですが、貴重なものです。
さらに光太郎の識語署名入りの著書が2冊。これも珍しいもの。このあたりは新しい記念館に展示されてもおかしくないものです。
その他、光太郎の蔵書だったもの。光太郎宛の献呈署名が入っている書籍がけっこうありました。中には『念ずれば花ひらく』で有名な仏教詩人・坂村真民からのものもありました。
また、昭和20年から27年にかけての雑誌が山のようにあり、どうも光太郎の元に送られてきたものだと思われます。光太郎の山小屋にはこういう若い詩人の著書や雑誌類がたくさん送られていて、光太郎は、特に手元に残す必要がないと思ったものは村の人々にあげてしまったりしていました。
そういったもののの分類は終わり、リストまで作成し終わるつもりでいましたが、時間が足りませんでした。最後の頃は頭もクラクラしてきましたし。あと半日あれば終わっていたのですが、結局途中で断念、また近いうちに行って最後の仕上げをします。この書籍類、いずれは新しい記念館で何らかの形で活用されるとのことです。
ちなみに頭のクラクラ、かなりひどかったのですが、花巻の記念会の方に車で宿(大沢温泉)に送っていただき、ゆっくり温泉につかったら治りました。大沢温泉、すばらしい(笑)。
新しい記念館、といえば、先月の仮オープン以来、閑古鳥が鳴いていないかなどと心配していましたが、あにはからんや、けっこう団体のお客さんがお見えだそうです。実際、昨日もこちらの昼食休憩の時に大型バスが一台。なんと智恵子のふるさと・福島安達の農業関係の団体様でした。ありがたいことです。
さらに新しい記念館、といえば、ホームページがリニューアルされました。ご覧下さい。
ご覧下さい、といえば、いよいよ明日から千葉市美術館において企画展「彫刻家高村光太郎展」が始まります。こちらもぜひご覧下さい。当方、明日は午後から観に行き、夕方から館主催のオープニングレセプションに出席いたします。
花巻から帰ってきましたところ、図録が届いていました。担当学芸員さん曰く「自分の葬儀の時には今回のポスターと図録を棺に入れてほしいほどの出来」。たしかに実に立派なものです。こちらもぜひお買い求め下さい。
【今日は何の日・光太郎】 6月28日
昭和20年(1945)の今日、花巻市桜町に建っていた宮沢賢治の「雨ニモマケズ」碑を初めて訪れました。
碑文はかつて昭和11年(1936)に、花巻の関係者からの依頼で光太郎が「雨ニモマケズ」の後半を書いたもの。後に昭和21年(1946)には、碑文に誤りがあるのを知った光太郎が碑面に訂正を書き込み、石屋さんがその場で刻むというちょっと変わった訂正がされました。
ところで「雨ニモマケズ」の一節で、一般に「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」とされている部分、元々賢治が手帳に書いた段階では「ヒドリノトキハ」でした。
それが現在、一般には「ヒデリ」と改変されています。そのことに是非についてはここでは論じませんが、時折、「光太郎がその改変をした」という記述を見かけます。
光太郎の名誉のためにこれだけは書いておきますが、それは誤りです。確かにこの碑でも「ヒデリ」となっていますが、それは花巻の関係者から送られた原稿の通りに光太郎が書いただけで、光太郎はこの改変には一切関わっていませんのでよろしくおねがいします。