2013/3/15 平凡社発行
定価 2800円+税
治療法の一分野として幅広く実施されているアートセラピーの、臨床研究の成果のみならず、その歴史学的側面を考察し、高村智恵子やジャクソン・ポロックの事例を含めて、多角的に紹介する。
神戸の甲南大学さんに設置された人間科学研究所スタッフによる編著です。テーマは「アートセラピー」。芸術を媒体に使用する精神療法です。
神戸の甲南大学さんに設置された人間科学研究所スタッフによる編著です。テーマは「アートセラピー」。芸術を媒体に使用する精神療法です。
第1部「近代日本のアートとセラピー」中の、「高村智恵子の表現-芸術の境界線(木股知史)」、「「治す」という概念の考古学-近代日本の精神医学(三脇康生)」、「アウトサイダー・アート前史における創作と治癒(服部正)」で、智恵子の紙絵や智恵子の主治医だった斎藤玉男について述べられています。
精神を病んだ智恵子は昭和10年(1935)から亡くなる同13年(1938)まで、南品川のゼームス坂病院に入院していましたが、そこの院長だったのが斎藤玉男です。この時代はまだ芸術療法という概念も曖昧で、作業療法に近い位置づけでした。それでもゼームス坂病院の実践は当時としては、ある意味画期的だったとのこと。
とかく智恵子の紙絵やその終焉の様子などは、文学的、ドラマチックに捉えられがちですが、こうした科学の目を通してのアプローチも重要なのではないでしょうか。
【今日は何の日・光太郎】 6月8日
明治45年(1912)の今日、埼玉県百間村(現・宮代町)の英文学者・作家の島村盛助に宛てて、駒込林町25番地に完成したアトリエへの転居通知を送りました。
本文は自刻木版です。同一の版を使った転居通知は同月6日付で作家の生田葵山にも送られています。
日付を特定できませんが、この頃、アトリエが竣工したと言えます。同じく日付を特定できませんが、アトリエの新築祝いに、智恵子がグロキシニアの鉢植えを持って訪れたのもこの頃です。