京都・大阪レポートの2回目です。
 
午前中、京都大覚寺の「大覚寺の栄華 幕末・近代の門跡文化」展を観て、一路、大阪は堺に向かいました。京都から新大阪まで新幹線、その後、地下鉄と路面電車を乗り継ぎ、堺市の覚応寺さんというお寺に向かいました。こちらで昨日、与謝野晶子の命日・白桜忌が行われました。
 
 
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左の画像はパンダ顔の路面電車、阪堺電気軌道阪堺線。歴史は古く、明治末には走っていたとのことで、晶子も使ったのではないでしょうか。当方、天王寺から乗りましたが、どこまで乗っても200円。これにはちょっと驚きました。
 
会場の覚応寺さんに行くには神明町という駅で降りましたが、あと3駅行くと、晶子生家跡のある大小路駅でした。昨日は強行日程だったので行きませんでしたが、また日を改めて周辺を散策してみようと思っています。
 
右上の画像は白桜忌会場となった覚応寺さんと道をはさんだ向かいにある西本願寺堺別院さん。味のある建物だな、と思っていたら、案の定、明治の昔に堺県庁として使われていたとのこと。
 
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さて、覚応寺さん。明治期のここの住職が晶子と鉄幹を引き合わせたということで、ここで白桜忌が開かれているそうです。境内には有名な晶子短歌「その子はたち櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」を刻んだ碑がありました。
 
会場は本堂。大阪在住の高村光太郎研究会会員・西浦氏も到着。受付を済ませて入ると、正面に晶子遺影、サイドには与謝野夫妻直筆の短冊や晶子肖像画などが飾られていました。
 
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午後1時半の開会。お寺での開催ということで、覚応寺院主さんの読経や晶子実家鳳家の方による代表焼香があったりと、宗教色の強いものでした。ただ、それだけでなく、地元の方々による献茶、献歌、献句、そしてコーラスもありました。曲は晶子に関わるもの3曲。「茅渟の海」「ミュンヘンの宿」そして「君死にたまふことなかれ」。堺の人々が晶子顕彰に力を入れている様子に感心させられました。
 
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その後、国立台湾大学日本語文学系教授にして与謝野晶子倶楽部副会長の太田登氏による講演「晶子における現在的意味を考える-堺の晶子から世界の晶子へ-」と続きました。
 
現在の近隣諸国とのぎくしゃくした国際情勢をふまえ、主に大正期の著述から世界平和を訴えていた晶子の姿、その思想的水脈としてのトルストイとの関連などのお話でした。
 
下の画像は太田氏の新刊「与謝野晶子論考-寛の才気・晶子の天分-」。白桜忌に合わせて昨日の刊行で、版元の八木書店出版部さんが会場内で販売していましたので購入しました。与謝野夫妻と光太郎との関わりについてはまだまだ調べなければならないことがあるので、その手引きとしたいと思います。
 
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その後、西浦氏に車で南海電鉄の堺東駅まで送っていただき、帰途につきました。強行日程でしたが実りの多い京阪訪問でした。
 
しかし、来月にはもう一度京都に行く用事が出来てしまいました。詳細はまた後ほど。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月30日

昭和21年の今日、農民芸術社から雑誌『農民芸術』が刊行されました。

光太郎は宮沢賢治に関する散文「第四次元の願望」を寄せています。