昨日は乃木坂国立新美術館で太平洋美術展を観たあと、原宿のアコスタディオさんに向かいました。シャンソン歌手・モンデンモモさんのライブです。何度もご紹介してきていますが、光太郎の詩にご自分で作曲され、発表なさっています。
今回は2部構成でした。1部は主に明治末から大正初めの光太郎智恵子が結ばれる時期にポイントを絞り、新曲も多く交えてステージを組みました。モモさんの凄いところは、聴くたびに曲が増えていることです。昨日も今までなかった「N-女史に」とか「或る夜のこころ」、「淫心」などが披露されました。また、智恵子が雑誌『青鞜』の表紙を描いたことをふまえ、平塚らいてうにもからめ、らいてうの書いた「元始、女性は太陽であつた」も歌にしていました。
2部は旧曲からのセレクトで、光太郎智恵子の後半生を謳うステージ。その冒頭で5分ほど時間をいただき、レクチャーして参りました。1部で扱われていた明治末から大正初めは、光太郎の内部で満たされない思いが渦を巻き、詩として吐き出されていたり、智恵子との恋愛の成就でそれが満たされ、有頂天になって高らかに詩が謳われたりしたこと、その後は平穏な生活が続き、詩作が途絶えたことなどです。光太郎に限らず詩人全般に言えることですが、平穏な日々を送っている間は詩作が少なく、マイナスの鬱屈した思いや逆にプラスの高揚感で満たされている日々になると詩作が増えます。
光太郎に関して言えば、大正3年(1914)の結婚披露から10年ほどの間は詩作が少なく、比較的平穏な日々だったといえます。それが大正12年(1923)頃から再び詩作が多くなるのは、智恵子との生活に「きしみ」が見えてきたからだ、ということで、2部につなげました。このレクチャーが意外と好評だったのでよかったと思います。どさくさに紛れて光太郎生誕130周年記念で花巻の記念館がリニューアルオープンしたことや、来月から始まる「彫刻家・高村光太郎展」の宣伝もさせていただきました。
2部まで終わり、アンコールは「道程~冬が来た」。お客様(坂本富江様もいらしていました)の反応も上々でした。光太郎詩以外にも、サティの「Je te veux」やフォーレの「夢のあとに」を歌付きで入れたのも良かったと思います。相変わらず伴奏の砂原嘉博さんのピアノも冴え渡っていました。
終演後の会場で
地下のホールから地上に上がると、なぜかキティーちゃんとダニエル君(笑)。同じビルを拠点にサンリオさんのイベントカーが走り回っていました。
【今日は何の日・光太郎】5月20日
明治19年(1886)の今日、福島県安達郡油井村(現・二本松市)で、智恵子が誕生しました。
智恵子は生誕127年になります。