当方刊行の『光太郎資料』や連翹忌関連の資料(当日配布したものの残部)などをあちこちに発送しました。
だからというわけでもないのかも知れませんが、逆にあちこちからいろいろな資料が届きます。ありがたいことです。
先日、雑誌『歴程』№583が届きました。この中に執筆されている伊武トーマ氏から戴きました。
「十一月十七日、かえる忌、雨……」という題のエッセイで、昨秋の草野心平忌日・かえる忌の模様のレポートです。
こちらには当方も参加させていただきまして、文中には当方の名も。その際に当方が持参した光太郎揮毫の「雨ニモマケズ」碑拓本にからめ、次のように書かれています。
……道程の詩人の「僕の前に道はない。僕の後に道は出来る。」、目の当たりにしている賢治の「雨ニモマケズ風ニモマケズ」、まだ耳に残っている心平さんの「どこまでつづくまっ暗な。電燈ひとつついてやしない底なしの。くらあい道を歩いてゆく。」…。《光太郎・賢治・心平》この三巨星の有名なフレーズが一つの空間となり詩的宇宙の扉が開かれ、胸の奥底から熱いものが迸った。
『歴程』は昭和11年(1936)、草野心平が創刊した雑誌ですが、光太郎とも因縁浅からぬものがあり、その創刊号をはじめ、戦後の復刊を含め、光太郎の文筆作品がたくさん載りました。
時を超え、その同じ『歴程』誌上にこうして賢治も含め、ゆかりの深い詩人達の名が連なるのは感慨深いものがあります。
【今日は何の日・光太郎】4月12日
昭和31年(1956)の今日、『東京新聞』夕刊に光太郎追悼記事「高村光太郎の生き方-伊藤、今泉氏に質問したいこと」が掲載されました。
「伊藤」は詩人の伊藤信吉、「今泉」は美術史家の今泉篤男。ともに光太郎に私淑していた人々です。