4/2は光太郎の命日、連翹忌でした。東京日比谷松本楼様では、午後5時半開会で、第57回連翹忌の集いを開催しました。
開会宣言のあと、黙祷を捧げました。もちろん光太郎に。そして東日本大震災で亡くなられた方に、という意味も込めました。連翹忌の関係者で、震災によって亡くなった方もいらっしゃいますので。それから当方の勝手な判断ですが、この一年に震災とは関係なく亡くなった連翹忌関係者の方もいらっしゃったので、そういう方への追悼の意味も込めさせていただきました。
続いて、高村光太郎記念会事務局長、北川太一先生のご挨拶。
続いて高村光太郎の令甥で、現在の高村家当主にして高村光太郎記念会理事長の高村規氏による乾杯のご発声。その後、しばしの歓談の時間を取りました。
続いて、東北を中心に活動なさっている水墨画家の一関恵美様、ピアニストの齋藤卓子様による、光太郎智恵子をイメージしてのアクションペインティングをご披露していただきました。
斎藤様の奏でるベートーヴェン「月光」、ドビュッシー「月の光」に乗せ、一関様がその場で描かれました。会場からは大きな拍手が。
お二人とは昨年知り合ったのですが、早速、今回の連翹忌で大きなお仕事をお願いしてしまいました。快くお引き受け下さり、ありがたい限りでした。
その後は恒例のスピーチを何人かの方にお願いしました。主にこの一年間で光太郎智恵子がらみのイベントや出版をなさった方、これからなさる方にお願いしました。
名古屋の作曲家で、連作歌曲「智恵子抄」を発表なさった野村朗様。
昨年、『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』を出版なさった坂本富江様。
今年、全国3つの美術館巡回で行われる「彫刻家・高村光太郎展」に関し、碧南市藤井達吉現代美術館の木本館長。
4/21~22、光太郎の親友だった荻原守衛の碌山忌関連で、信州安曇野碌山美術館長の所賛太氏。
後ほどまた御紹介しますが、4/21には高村規氏のご講演があります。
花巻の高村記念館リニューアルに関して、花巻高村記念会の高橋卓也氏。
光太郎の詩に自作の曲をつけて歌われているシャンソン歌手のモンデンモモさん。
福島県川内村で、原発事故にもめげず草野心平関連の顕彰活動を続けられているかわうち草野心平記念館長・晒名昇氏。
宮城県女川町で、津波の被害にもめげず女川光太郎祭を続けられている佐々木英子様。
群馬県立土屋文明記念文学館から、県立高校に異動になったという高村光太郎研究会の佐藤浩美さん。
そして、今回、新たに連翹忌にご参加いただいた方を代表し、岩手紫波町からお越しの畠山宏樹氏。お母様が「町の小さな文化館」というコンセプトで、「権三ほーる」という施設を運営なさっているそうです。畠山氏には、晩年の光太郎と縁のあった藤原嘉藤治について語っていただきました。
ご参会の方全員に光太郎智恵子に対する思いを語っていただきたいのですが、そうもいかず、午後8時、閉会となりました。
来年以降も同じく松本楼様で連翹忌のつどいを執り行います。もっともっと、光太郎智恵子を敬愛する皆さんの輪を広げていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
【今日は何の日・光太郎】4月4日
昭和31年(1956)の今日、東京青山斎場にて光太郎の葬儀が執り行われました。
棺の上には生前の光太郎が愛した連翹の花が一枝。これが「連翹忌」命名の由来となりました。
棺の上には生前の光太郎が愛した連翹の花が一枝。これが「連翹忌」命名の由来となりました。