4月2日の光太郎命日、連翹忌まであと1週間となりました。
おかげさまで東京日比谷松本楼様での連翹忌の集まりには、昨年より多い70名程のご参加申し込みをいただいております。
さて、連翹忌といえば、東京のみではなく、光太郎が足かけ8年暮らした岩手花巻でも開催されています。
以下、花巻市のページ、「広報はなまき 平成25年3月15日号」から。
高村光太郎の連翹忌
【日時】 4月2日(火)、午後1時
【会場】 松庵寺
※当日は、午前9時から高村山荘敷地内で「詩碑前祭」が開催されます
【問い合わせ】 財団法人高村記念会(総合花巻病院内29-4681)
【会場】 松庵寺
※当日は、午前9時から高村山荘敷地内で「詩碑前祭」が開催されます
【問い合わせ】 財団法人高村記念会(総合花巻病院内29-4681)
松庵寺さんは、宮沢賢治の生家にもほど近い花巻市街にあり、光太郎が花巻滞在中、よく光雲や智恵子の法要をしてもらっていました。昭和20年(1945)の10月には、そんな縁で、ずばり「松庵寺」という詩も作っています。
松庵寺
奥州花巻といふひなびた町の
浄土宗の古刹松庵寺で
秋の村雨ふりしきるあなたの命日に
まことにささやかな法事をしました
花巻の町も戦火をうけて
すつかり焼けた松庵寺は
物置小屋に須弥壇をつくつた
二畳敷のお堂でした
雨がうしろの障子から吹きこみ
和尚さまの衣のすそさへ濡れました
和尚さまは静かな声でしみじみと
型どほりに一枚起請文をよみました
仏を信じて身をなげ出した昔の人の
おそろしい告白の真実が
今の世でも生きてわたくしをうちました
限りなき信によつてわたくしのために
燃えてしまつたあなたの一生の序列を
この松庵寺の物置御堂の仏の前で
又も食ひ入るやうに思ひしらべました
浄土宗の古刹松庵寺で
秋の村雨ふりしきるあなたの命日に
まことにささやかな法事をしました
花巻の町も戦火をうけて
すつかり焼けた松庵寺は
物置小屋に須弥壇をつくつた
二畳敷のお堂でした
雨がうしろの障子から吹きこみ
和尚さまの衣のすそさへ濡れました
和尚さまは静かな声でしみじみと
型どほりに一枚起請文をよみました
仏を信じて身をなげ出した昔の人の
おそろしい告白の真実が
今の世でも生きてわたくしをうちました
限りなき信によつてわたくしのために
燃えてしまつたあなたの一生の序列を
この松庵寺の物置御堂の仏の前で
又も食ひ入るやうに思ひしらべました
松庵寺さんには、この「松庵寺」を刻んだ詩碑、「松庵寺」を英訳した碑、そして短歌「花巻の 松庵寺にて 母にあふ はははりんごを たべたまひけり」という光太郎の短歌を刻んだか歌碑が建てられています。
岩手方面在住で、東京まで出てくるのはちょっと、という方、是非とも花巻の連翹忌にご参加下さい。
【今日は何の日・光太郎】3月26日
昭和10年(1935)の今日、鉄幹与謝野寛が亡くなりました。
光太郎も葬儀の手伝い等をしたそうです。