昨日のブログで御紹介しましたが、6月29日(土)から、3館巡回で企画展「彫刻家・高村光太郎展」が開催されます。


最初に行われる千葉市美術館から依頼を受け、図録の一部を執筆することになりました。現在、鋭意作成中です。
まずは光太郎の略年譜。北川太一先生編の『高村光太郎全集』(筑摩書房)別巻に、100ページを超える詳細な年譜が載っており、そこから抜粋させていただいています。また、それだけでなく、『全集』別巻は平成10年の刊行なので、その後に判明した事実も織り込んでいます。
たとえば光太郎は大正元年夏に千葉の犬吠埼に行っていますが、その日付は不明でした。それが数年前に見つけた編集者の前田晃にあてた書簡から、9月4日に帰京したことが判っています。
また、同じ年の秋には文展(文部省美術展覧会)の評を「西洋画所見」の題で『読売新聞』に連載しています。従来は11月16日に掲載された第11回で完結と思われており、『全集』第6巻には第11回までしか収録されていませんでした。しかし、これも数年前、11月17日に掲載された第12回を見つけ、これが間違いなく最終回と判明しました。今度の年譜には「1912 明治45・大正元 11/1~17 全12回にわたり、『読売新聞』に文展評「西洋画所見」を連載。」と書きます。『全集』のみを見て「16日だろ」「12回じゃないぞ」と言わないで下さい。間違いではありませんのでよろしく。ちなみにこの「西洋画所見」、第8回で夏目漱石の文展評を「陳腐だ」とこきおろしていることで有名です。
他にも昨年のブログでレポートしましたが、海外留学中、アメリカからイギリスに渡航する際に乗った船がホワイトスターライン社の「オーシャニック」と判明したのでそれも書きましたし、他にも従来の年譜になかった講演会の記録なども載せました。
と、まぁ、いろいろ新事実も織り込んでいるのですが、それもこれも元にさせていただいた北川太一先生の労作の年譜があってこそのことであります。
まだ先の話ですが、是非ともご来場の上、図録もご購入下さい。
【今日は何の日・光太郎】2月27日
明治39年(1906)の今日、海外留学の最初の目的地、ニューヨークに到着しました。
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