宮城県美術館で開催中の企画展「生誕100年/追悼 彫刻家 佐藤忠良展「人間」を探求しつづけた表現者の歩み」を観て参りました。
午前5時半に千葉の自宅を出て、東京駅発8時12分の東北新幹線・はやぶさ1号に乗り込みました。朝が早かったし、途中停車駅があるとアナウンスや速度の変化で目が覚めますが、大宮を出たらあとは仙台までノンストップということで、爆睡しました。
ふと目を覚ますともう福島県内で、車窓から外を見て、驚きました。銀世界! 青森や岩手ならいざ知らず、南東北でもこの状況か、と思いました。
9:48、仙台に到着。仙台では傘が必要なくらい雪が降っていました。
路線バスに乗り、一路、宮城県美術館へ。
入り口から玄関まで、職員の方が雪かきをしてくださっていました。館内に入ると、眼鏡が曇ってしばらく何も見えませんでした。後で訊くと、気温はマイナスだったそうです。
さて、じっくり時間をかけ(途中で昼食もとりつつ)、本館の企画展と、常設の佐藤忠良記念館の展示を観ました。
「書は人なり」とよくいいますが、改めて「彫刻も人なり」と思いました。
昨秋、上野の国立西洋美術館の企画展「手の痕跡」展で、ロダンの作品をまとめて観ましたが、そこで感じたのは「激しさ」でした。作品となった人物の表情、ポーズ、人体の部分部分の力の入り具合、躍動感、高揚感、そして作品のタッチ、どれをとっても「激しさ」を感じ、それがロダンという作者の人となりの反映のように思われました。
今回、佐藤忠良の作品からはロダンのような「激しさ」とは逆の、春の日差しのような穏やかさのようなものを感じました。乱暴な言い方で、反論もあるかも知れませんが、ロダンを「動」とすれば佐藤は「静」。しかし、「静」といっても、「止まっている」という感じではありません。「止まって」いたらマネキン人形です。しかし、佐藤の彫刻は「静」の中に「動」を感じます。佐藤自身「具象でモビールをやってみているような感じ」と述べていますが、まさにその通りです。例えば座っている女性の像でも、ただ漫然と弛緩したポーズをとっているわけではありません。座りながらも爪先を軽く立て、そこに軽い緊張感-「激しさ」ではなく抑制された-が感じられるのです。
「見る人に説明するようには作らない」というのが佐藤のポリシーだったようです。雄弁にがなりたてるのではなく、さりとて寡黙に口をつむぐのでもなく、抑制された自己主張。こういう部分に作者の人となり、さらには「東北人の典型」といった解釈を与えるのは安易でしょうか?
今年また、光太郎彫刻をまとめて観る機会があります。その時に自分でどう感じるのか、それから皆さんがどう感じるのか、興味深いものがあります。
続きはまた明日。
【今日は何の日・光太郎】1月27日
昭和10年(1935)の今日、日本語におけるソネットなどの定型、押韻詩を試みる文学運動、マチネ・ポエティック社が結成され、光太郎も参加しています。
昭和10年(1935)の今日、日本語におけるソネットなどの定型、押韻詩を試みる文学運動、マチネ・ポエティック社が結成され、光太郎も参加しています。